日本人は、自分たちが海外から“サムライ”と呼ばれてうれしいのか?呼んでほしいのか?
まあ、そう呼んでほしいように自分から宣伝しているので、海外の人も気が利く人は日本人をそう呼んでくれる。
しかし【サムライ】は、国際政治の舞台では弱い存在なのだ。
その日、首都ワシントンで―――トランプ政権誕生
僕がそれを感じ始めたのは、学校で習った“元寇”だ。
日本側は、【サムライ】的な戦いをしたが、元側は【サムライ】的な戦いをしなかった。
【サムライ】とは、お互いが【サムライ】としてのルール・マナーを守るときは価値を発揮するが、相手が【サムライ】でないときには、何の意味も持たない。勝ち、負けを判定するときには、自己満足的なルール・マナーなんか守らない方が強いに決まっている。片方が剣道のルールで、もう片方がルール無し、と言う感じだ。
日本は国際政治の中で、今は国連をよりどころとして、国連が様々なルールを維持してくれることを期待して、国際政治に取り組んでいる。しかし現実の世界は、ルール無視の行為が横行している。しかもそれを止めるルールはない。
そうなると、ルールを守るメリットがなくなり、結局は弱肉強食の社会になってしまう。
北朝鮮しかり、南シナ海しかり、遅刻しかり・・・
その一つとして、トランプ政権は誕生した。
既存の政治家や他国のリーダーたちも、既存のルールの上で活動をしてきた。このルールは今後も守られるべきだとの期待が根底にある。しかしトランプ氏はこのルールをぶち壊すことを公言している。そういう時代になったのだ。
だから、日本たいつまでも【サムライ】を貫いても、結局はそれは自己満足にすぎず、他国に対してズルイズルイ・・・とほざいてみても、誰も相手にしてくれない。利用されておわり。
そうならないことを祈る。
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