2015年5月27日水曜日

【ヘリウム事故】詳細が明らかに。~マスコミは腐っている

【こどもの生活環境改善委員会からのコメント】

この中で、最も気になる部分は、以下の部分だ。

(引用)
今回の事故はTV番組の収録中に起こっており,事故の発生前の状況から発生直後までの状況が秒単位で記録されているはずである.その貴重な映像などを用いて科学的に検証して発生機序を明らかにし, その結果をもとに予防法を考え,それを公表,また報道する必要がある.
(引用以上)

ここで指摘があったとおり、“事故の発生前の状況から発生直後までの状況が秒単位で記録されているはず”である。にもかかわらず、当事者達は、その真相を公表しようとしていない。

つまり、隠そうとしている。

あれだけの傷害を与えておきながら、何のお咎めもないなら、マスコミは腐っていると断言せざるを得ない。

(ひろし)

2015年5月19日火曜日

【疑問】生活リズムを夜型から朝方に変えたら、年収・貯金が増加するのか?2

朝型人間vs夜型人間! 人生の損得比べ

こちらの記事では、「朝型」「夜型」という区別が、年収・貯金とどう関連があるか?

という統計を示している。

因果関係については、若干疑問があるが、統計結果としては、十分納得できるものである。

つまり、

「時間感覚と金銭感覚は密接に結びついている。」ということだ。


実は世の中、単位時間あたりの給料が、多いか少ないか、よくわかっていない人が、たくさん?かなり?少なからず?いると言うこと。
(ひろし)の身の回りでも、同じ時間働いて、より高収入が得られるやり方があるにもかかわらず、なぜか、それをやらない。もちろん、スキルが低いこともあげられるが、そもそもそういう意識が低い?ない?のだ。

(例)同じような仕事をするなら、時給が高い方がいい。しかし、低い時給でも受け入れている人が意外と多い。

例えば、江戸時代の葛飾北斎は、金銭感覚がまったくなかったと言われていて、数々のエピソードも伝えられている。このように、金銭感覚が全くない人間は、いつの時代もかなり居ると言うこと。

知人の中にも、で安定した収入があったにもかかわらず、支出が多すぎて自己破産した人とか・・・・(夜逃げしたという噂・・・)

・・・この件については、なかなか旨く説明できないので、今日はここまで。

すみません。

(ひろし)

【疑問】生活リズムを夜型から朝方に変えたら、年収・貯金が増加するのか?

「鶏が先か、卵が先か・・・?」


朝型人間vs夜型人間! 人生の損得比べ


こちらの記事では、朝型人間の方が年収・貯金とも夜型人間より上回っていると結論づけている。

しかし、じゃあ、生活リズムを夜型から朝方に変えたら、年収・貯金が増加するのか?

という疑問には答えていない。

この記事を書いた人は、おそらく「朝方」の方なのだろう。

そもそもじゃあ、その人間が、なんで「朝方」なのか?「夜型」なのか?というところからスタートする必要がある。

例えば、


■朝型人間は「よく寝る人」だった


との記事。一見、なるほどと思う人も多いと思う。これをなるほどと思える人は、「朝型人間」だと言っていいだろう。つまり、夜型の人間の現状をご存じないということ。

ここまで書くと、(ひろし)が「夜型」だと言うことがバレてしまう。

じゃあ、なんで(ひろし)は「夜型」なのか?

理由は体調が原因だ。
特段、どこかが悪いというわけでもないのだろうが(健康診断上は特に問題なし)、若い頃から昼はなぜか、眠くなっていた。

これを最近では、「睡眠時無呼吸症候群」とか、睡眠障害としてとらえるようになってきたが、今ではそれは正解だと思う。

また、記事では、睡眠時間も取り上げられていた。
「朝型」の方が、「夜型」よりも睡眠時間が長い。
つまり、段取り力が高いと。

これも、若干フィーリングが違うと思う。

夜型は、眠れないから(眠りが浅いから)夜型なのだ。
因果関係で言えば、むしろ逆だと思う。
つまり、「夜型」になったせいで、段取り力が下がってしまった・・・

しかし、夜型はその生活リズムが定着してしまうと、決していい事ではないということには同感だ。。
やはり、単位時間あたりの生産性は、朝型よりも低くなり、結果として年収・貯金が低くなってしまう・・・。

【結論】としては、
夜型は決して望ましいものではない。だから若いうちから、その芽を摘んで(病院での治療などで)、朝型のサイクルが身につくように、修正出来るものならした方がいい。
また、親が子どもに、朝型の生活リズムが身につくように、習慣づけを行った方がいい。
(しかし現実には、夜型の子どもは、やはり親も夜型だったりする。夜型は親から子へ伝わっていく。夜型の連鎖。)
ただし、どうしても朝型になれない人は、ムリをせず、夜型のリズムで自分に最適のリズムを身につけるようにするしかない。結果として、年収・貯金に差が出たとしても、自分の幸福感との兼ね合いで、受け入れるしかないと思う。

そしてこの記事の筆者に問いたいのは、

【疑問】じゃあ、「夜型人間」が生活リズムを朝方に変えたら、年収・貯金が増加するのか?

もしそうなら、どうやったら夜型から朝型へ変える事が出来るのか?

という【疑問】だ。ぜひ、この疑問に答えてほしい。

(続く・・・)

(ひろし)

2015年5月15日金曜日

砂糖屋の回しもんか?結論付けがおかしい。

砂糖屋の回しもんか?結論付けがおかしい。

甘い蜜には罠がある!実は危険な「カロリーゼロ」

ざっくりいうと、

人工甘味料には、依存性がある。

だから、(引用)「カロリーゼロだから大丈夫」と安心して人工甘味料の入ったものを制限なく摂り続けていれば、それまで以上に甘いものを抑えるのが困難になり、通常の砂糖を使った甘い食品にも手が伸びるようになってしまいます。(引用以上)(下線は筆者)

つまり、(引用)砂糖を使った飲料を節度を守って飲む方が、理にかなっている(引用以上)

らしい。

なぜ、人工甘味料を節度を守って飲む選択肢が排除されているのか?

仮に人工甘味料に問題があったとしても、究極の二者択一みたいな結論づけはおかしい。

「人工甘味料は、問題もあるので、節度を守って利用しましょう。」くらいの言い方をしてもいいのではないか?

二者択一で、「砂糖を・・・」と結論づけるなんて、砂糖屋の回しもんかとおもってしまうのは(ひろし)お一人様でしょうか?

(ひろし)

2015年5月14日木曜日

安倍総理の米議会の演説は恥か?

最後に・・・

皆さんは日本の将来はどうなると思いますか?

ボクは日本の将来は明るいと思いますが、
安倍総理は、そうは思ってないのではないでしょうか?

原発事故しかり、国の借金しかり・・・

どうもしようがない・・・

無力感・・・

最悪、一つの国家としてやっていけないかもしれない・・・

ならば、その前に、キチンとアメリカと密接に結びついて、
最後の最後にはなんとかしてもらうしかない・・・・

そんな漠然とした不安感があるのではないでしょうか・・・

でないと、あそこまでなかなか言えないのではないでしょうか・・・

皆さんはどう思われますか?

(ひろし)

2015年5月12日火曜日

【原発廃炉】日本には、「安定した地盤」はありません。

【原発廃炉】は嬉しいニュースですね。


日本には、「安定した地盤」はありません。日本列島の骨格自体が、珊瑚礁が元の石灰岩で、その上に火山灰が降り積もった島らしいです。

【原発廃炉】結局の所、感受性の問題ですね。

排水路のポンプ停止=汚染雨水、外洋流出―福島第1

結局の所、感受性の問題ですね。
鈍感な人間が推進してる。

いずれにしても、
原発はテロの標的。戦時では攻撃目標。
日本には安定した地盤はない。
放射性廃棄物の処理方法が確立していない。
地球は一つ、国内問題では済まされない。
などの理由により、廃炉がベスト。
即時廃炉ができなくても、再生可能エネルギーの増加を図りながら、徐々にゼロに導く。そういう方向がいいと思います。

(ひろし)

2015年5月6日水曜日

学校での部活はどうあるべきか?~いつまでたっても結論の出ない議論。

運動部活動に全国大会がなかった頃

《(ひろし)の見解》

まずは、この議論についても、“結論”がでることはないだろうと思う。

実際に、学校で部活をすることにメリットもデメリットも両方存在するので、どちらかの結論を出すことは無理があると思う。

例えば野球部。多くの子ども達が“甲子園”目指して、休みも返上でがんばっている。
野球部以外の部活についても、その子ども達ががんばっている姿が、他の生徒へ良い影響を与えていることは、紛れもない事実だ。

ただ、ご指摘のように、一部のレギュラー部員のために、補欠以下、多くの生徒が利用されているのも事実。

ではどう考えればいいのか?

この問いに対する答えは簡単。

“自分がどうしたいのか?”ということ。

自分が甲子園に行きたいのか?それとも、体力作り・健康作りのために運動したいのか?

それを自分で決めると言うこと。これが大事だと思う。

仮に自分が通っている学校の野球部が甲子園を目指して活動しているとする。
でも、自分は、健康作りのために運動したい。受験も疎かにしたくない・・・と考えたとする。

ならば部活は、野球部以外の部活を選ぶべきだ。学校内の全ての運動部が、全国大会を目指しているとは考えられない。ほどほどの部活もあるはずだ。そういうクラブをみつけ所属すればいいと思う。

ここで、よく見極めなければならないことは、“甲子園”めざして活動しているクラブが、本気で目指しているのか?イメージとしてだけ目指しているのか?を、キチンと見定めることが大事だ。

冷静に高校野球を見てみれば、甲子園に出場している学校は、ごく一部だ。創立以来、一度も甲子園に出場したことがない学校がほとんどではないか。

なぜなら、本気で甲子園に行きたいなら、特別な取り組みが必要だからだ。
それはまず、甲子園に行けるだけの実力のある監督を学校が雇うこと。
そしてその監督が、甲子園で活躍できる可能性のある中学生をスカウトして集めること。
そういう選手や監督が、一年を通して、計画的に練習・試合をこなしているという事実。
しかもそのためには、膨大なお金が必要だ。
場合によっては、勉強を犠牲にしなくてはならない。

この一つが欠けても、甲子園にはいけない。

実際、自分は、本気で甲子園に行こうとしているのか?
その素質はあるのか?その予算はあるのか?

もしそうなら、甲子園に行った実績のある監督の下へ通わなければならない。
場合によっては、進学をあきらめなければならない・・・

中途半端な気持ちだけで、甲子園に出場できるほど、甲子園は甘くない。
現実を直視せよ。

自分は、どこまで野球に関わりたいのか?運動に関わりたいのか?
どのように関わりたいのか?

そいう現実的な目標を、キチンと明確にすべきだ。

そうでないと、中途半端に運動がしたいから・・・
と思って、本気で甲子園を目指しているチームに所属しても、
チームは甲子園に行けたとしても、貴方はいつまでたっても球拾い。
それでもよいならそれは自己の選択。
受験勉強ができなくても、球拾いでもいい、アルプススタンドでもいい・・・
これも覚悟の上なら、それも自己の選択。

もし、“受験勉強も真剣に取り組みたい”と思うなら、本気で甲子園を目指している部活には入らない方がいい。

結局、自分がどうしたいのか?どうなりたいのか?

そこが、基本となる。

以上は、わかりやすい例として甲子園の話題を出したが、他の部活でも、同じようなことは言えると思う。

つまり、全国一律に上から(文科省から)方針を決めても、反対の考えを持つ人は必ずいる。
だから、全国一律に方針が定まることはない。

今ある現状の中で、自分がどう生きていきたいのか?

それが大事だと思う。

(ふくやまひろし)

2015年5月5日火曜日

(続)余談ですが・・・~中国人民の方へのメッセージ。

では、新興中国はどうか? 

残念ながら、今の中国には基本的自由の価値観がない。 
今の中国は、国家資本主義的に強力に経済発展を推し進めているが、いずれ行き詰まると思う。

その理由は、“基本的自由の価値観がない”ことにある。 

なので、今後日本は、中国とは経済的なつながりは増えると思われますが、政治的つながりは、アメリカを越えることはないと思います。 多くの日本人も、中国との関係をアメリカ以上に強くすることを望んでいないと思います。  

それで、中国の国民の方々に、よくよく考えて頂きたいのは、 仮に、地球が一つの国家になるとしたら、アメリカ的な国家がいいと思いますか?中国的な国家がいいと思いますか?

よくよく考えて見て下さい。 おそらく民主主義を知った人間なら、究極の選択なら、アメリカ的国家がいいに決まっていると思います。違いますか? 

それで、中国の方々によくよく考えて頂きたいのは、 将来的にも、今の政治体制でいいとお考えなのでしょうか?香港の現状を見てもなおかつ、今の政治体制でいいとお考えなのでしょうか?

国家=権力者に都合の悪い情報は隠され、都合のいい情報しか流れてこない。それで、今の体制は仕方がないと思っている・・・?  

本当にそれでいいのですか??

そこのところを、中国の人民の方々はよくよく考えてみてほしいのです。

(ひろし)

最後に・・・

「安倍首相米議会演説」はこう読め。4~余談ですが・・・

誤解を恐れず、議論を明確にした方がいいと思うので言いますが、

戦後、日本はアメリカと同盟関係を結ぶことで発展してきた。

このとき、例えばアメリカ以外の例えば中国と同盟関係を結ぶことが想定できただろうか?

ロシアとは?
韓国とは?

全て、“否”である。

今となっては、そもそもアメリカと戦争をしたこと自体が、間違いであったと誰もが思う。
でもそもそもなぜ、そんな負けるような戦争を始めたのか?

いろいろと歴史の検証がされているので、そこのところはそちらに譲りたい。

ただ結果として、日本はアメリカと同盟を維持することで発展することができた。
これは紛れもない歴史の事実だ。

ということは、あの戦争は、結果だけを見れば、日本がアメリカと同盟を結ぶための通過点であった。と言っても過言ではない。

では今後日本は、アメリカ以外の国と、アメリカを越える同盟関係を構築することがあるのか?

答えは“NO!”だと思う。少なくとも今後、数十年はアメリカとの同盟関係を基軸に、国際関係を展開することになる。アメリカがよほどの失態を演じない限り、この関係は継続される。

では、どの程度の同盟関係が望ましいのか?

(ひろし)は、極端に言えば、属国になってもいいのではないか・・・とすら思う。

今日本人が、大挙してアメリカで活躍している。なぜか?
それは、多くの日本人がアメリカの価値観を支持しているからに他ならない。

世界中にいろんな国があるが、日本人が一番支持している国は、他ならぬアメリカである。

しかしアメリカとて、長所ばかりではない。当然、短所もある。
それでもなおかつ、原爆を落とされたにもかかわらず、日本人はアメリカの価値観を支持している。

その価値観とは、“自由”の価値観に他ならない。基本的自由の価値観。
これを日本人は手放すことはないと思う。また、世界にも、この基本的自由の価値観を広めていくべきである。

そういう意味で、属国発言は極端だったとしても、より緊密な同盟関係を模索することは、今後の日本の繁栄に大きなメリットがあると思う。

では、新興中国はどうか?

(つづく)


「安倍首相米議会演説」はこう読め。3~安倍総理の訪米の目的は、アメリカとの同盟関係を明確にすることであった。

4,官僚が書いた原稿を棒読みした、顔を上げるなどのト書きがあった。ことについて。

これも、いろんな価値観があり、一概には言えない。

一度でもスピーチをしたことがある人ならわかることだが、原稿なしで、完璧に演説することは大変に難しい。ましてや重要な場面での演説であればあるほど、ミスは許されないし、言い忘れとか言い間違いも、後々大問題になる。

歴史上には、優れたスピーチもあるみたいだが、安倍総理が原稿をよんだことが、“失格”みたいな評価は、的外れだと思う。今回安倍総理が安全策として原稿を読んだからと言って、それは批判にはあたらない。

では、“最初から日本語でやれば良かった”との指摘について。

これは正直、私もそう思う。


ただ、3で指摘したように、主従関係をはっきりさせるためには、あえてたどたどしい英語の方が、効果は抜群!!


5,おわりに

今回の安倍総理の訪米の目的は、アメリカとの同盟関係を明確にすることであった。
そういう意味で、演説を含む一連の行事は、周到に計画され用意され、しかもそれが功を奏した。

と(ひろし)は考える。

それは、2020年のTOKYOオリンピック招致のための“お・も・て・な・し”のあのプレゼンを彷彿とさせる。ひょっとしたら、あのプレゼンの演出者に、今回の訪米もアドバイスを受けているのかもしれない。

今安倍総理は、“決められる政治”を実行している。
今まで日本は“決められない政治”と、他国だけでなく国内からも批判されてきた。
“決められない政治”はよくないと。

そこで日本は、選挙制度をかえ小選挙区制を導入した。その結果、第一党が過半数を獲得し、主流派が自分の政策をどんどんと推し進められる体制が整った。この機に応じて、安倍総理は、“決められる政治”を行いはじめた。

これに対して、“議会軽視”だと野党は批判する。しかし圧倒的少数である以上、批判したところで、なんの力もない。もし野党が本気で批判するなら、自分たちが政権を取ったときも、今まで通り“決められない政治”をするつもりなのか?野党は自分たちのふがいなさを棚に上げ、安倍総理を批判するくらいなら、次期の政権奪取のための方策でも考えた方が身のためだ。野党はどんな政策をするつもりなのか?そこをはっきりさせなさい。

(ひろし)

余談ですが・・・《余談を読む》

「安倍首相米議会演説」はこう読め。2~安倍総理の訪米の目的は、アメリカとの同盟関係を明確にすることであった。

3,安倍総理の英語力は、恥か?

恥かどうかは、見る立場による。

今回の安倍総理は、アメリカとの同盟関係を明確にする意図があったので、英語力の云々は関係ない。むしろ、たどたどしい方が、主従関係がはっきりするので、アメリカ側も好意的にとらえたのではないか。また、日本人が英語で発表する際に、ネイティブである方が良いとする価値観も、実はいろんな考え方がある。それは、中途半端にネイティブよりも、いっそうたどたどしい方が、相手も出方が判断できていいという考え方だ。日本人が流ちょうな英語を話せば、相手は“話せる”ということを前提に、ネイティブをまくし立ててくる。しかしたどたどしければ、相手もそれに合わせて、しゃべり方を変えてくるという考え方だ。

私はこの考え方に賛同する。日本人が、中学校から大学まで、学校で英語を習っていながら、現実にはなかなか英会話が上達しない理由に、このネイティブ信仰がある。ネイティブでないと、相手に伝わらない・・・ネイティブでないと、相手に通じない・・・ネイティブでないと、恥・・・という考え方が根底にあるので、いつまでたっても会話ができるようにならない。
この点、安倍総理がへたくそに英語をやってくれたおかけで、“ああ、あんなんでいいんだ・・・”という思考回路の変化が国民の中に起こって、未熟でもどんどんと英語を話そう、という風潮が広まることはいいことだと思う。

よく東南アジアなどで、英語を話す日本人に対して、現地の人は“貴方は韓国人ですか?”ときかれることがあるらしい。つまり、日本人は恥ずかしがってなかなかしゃべらないが、韓国人は未熟でもどんどんとしゃべってくる。日本人がしゃべっていても、現地の人は、“韓国人?”と思うらしい。そういう面は韓国人を見習うべきだ。

4,官僚が書いた原稿を棒読みした、顔を上げるなどのト書きがあった。ことについて。

(つづく)



「安倍首相米議会演説」はこう読め。~安倍総理の訪米の目的は、アメリカとの同盟関係を明確にすることであった。


安倍首相米議会演説 全文

【炎上】民主党の小西ひろゆき議員が安倍首相の演説を酷評して大炎上!「空前絶後。ひどい棒読み。通訳の女性が気の毒」

このたびの安倍総理のアメリカ議会での演説が様々、議論されている。
この件について、(ひろし)のコメントを述べてみたい。

1,まず、結論からすれば、この度の訪米・演説は、大成功だったと思う。

その理由は、
今後日本は、アメリカとの同盟関係を重視することを明確にした。中国を牽制した。

国際社会で中国の影響力が強まる中、今後日本が「自由主義」陣営のリーダーとして、アメリカと二人三脚で歩調を合わせる意志を表明した。

2,中韓が安倍総理の演説を批判していることについて。

全くの筋違い。

アメリカを訪問したのであって、中韓の思惑通りの演説でなかったとしても、特段批判される理由はない。しかも演説の中でも、

ちょっと長くなりますが、引用します。

(引用)
戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。みずからに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。焦土と化した日本に、子どもたちの飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。米国がみずからの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。
(引用以上)

要約すると、
戦後の日本の繁栄は、アメリカ抜きではあり得なかった。アメリカのおかげで日本は戦前をしのぐ繁栄ができた。戦後の復興以降は日本は、アジアの繁栄に寄与してきた。その中に中韓も含まれる。中韓の経済成長は、日本の援助なくしてはあり得なかった。今後もその役割を全うするつもりだ。

この事実を無視して、日本を批判する国は、今後相手にする必要はないのではないかとも思う。

3,安倍総理の英語力は、恥か?

(つづく)

【市音】民営化された市音の今後。~現実はあまくない・・・

市音が民営化された。

Osaka Shion Wind Orchestra


団員達は、それを受け入れ、新たな取り組みをはじめた。

しかし前途は、そう甘くはないだろう。

なぜなら、そもそも音楽を演奏するには膨大なお金がかかる。
楽器購入や、技術取得のためのレッスン料、音楽大学などの学費、
遠征のための旅費、楽器の運搬費用などなど。

それに比べて、収入は、多くは期待できない。
特に吹奏楽は、オーケストラと違って、当事者達の熱狂とは裏腹に、世間的には非常にニッチな分野だ。だから市場が狭いし、オーケストラのチケット代金と同額のお金を取ることができない。
DCもオーケストラほどは売れない。

したがって団員の給料も、低く抑えざるを得ない。
(一部報道では、団員の給料は、年収300万円とか、200万円以下ということだが・・・)

多額のお金をかけて、演奏家になっても、元が取れない・・・・生活ができない・・・

そうなると、優秀な団員が集まりにくくなる。

結局は悪循環。


地方のオーケストラなどでよくある手法が、エキストラを招くという手法だ。
実際の団員だけでは、人数や技術が追いつかないため、演奏会のためだけに、優秀な演奏家をエキストラとして演奏に参加させ、重要な部分を担当させる。

この方法は一見、演奏のレベルが上がるので、聴衆受けはするのだが、市音のように市民に根ざした楽団がこの方法を使うことに、理解が得られるのか?


これらの問題を、一般市民の理解を得ながら、いかに克服していくか?

世の中、高邁な理想を掲げながら収入が得られずにまともな活動ができない団体はゴマンとある。

こんな予想が当たってほしくはないのだが・・・

(ひろし)

【AKB48】【卒業】では済まされない、“AKB商法”の今後。4

今後のAKBグループの活動についての提案。

市音の活動が注目されている。

Osaka Shion Wind Orchestra


大阪市の財政改革の一環として、2014年から民営化された。将来は、市からの援助がゼロになるらしい。
今までは、市から援助があったから、それを当てにした活動をしていた。
しかしこれからは、援助がなくなるので、それを当てにすることはできない。
今までは援助を受ける代わりに、制約もあった。
しかしこれからは、援助がなくなることで、制約もなくなる。
制約がなくなることで、今までできなかったこともできるようになる。

団員ひとり一人は、この改革を受け入れ、智恵をしぼりながら活動しはじめた。
そのおかげで、団員ひとり一人の緊張度が一気に高まった。
市音が今後、真に自立した楽団になれるかは、予断を許せない。
しかし、団員の今まで以上の真剣なとりくみに、協力者は増えつつある。

こういう取り組みは、AKBグループの今後の活動の参考にならないか?

つまり、AKBメンバー自身も、
「握手会」をやっていればCDが売れる、という甘えを排するために、思い切って握手会を終了とするという決断だ。

具体的には、
握手会は原則、終了。
新規のグループを立ち上げたときは、期間を限って「握手会」をする。

という考え方だ。

もし握手会がなくなって、CDの売り上げが下がれば、今までの売り上げは握手会に支えられていたということの証明になる。
CDを売るために、アーティストが“タレント(才能)”以外の“おまけ”に頼ることは、本来は好ましくない。
AKBグループが、真にタレントを磨き、それが支持されて、結果的にCDの売り上げの増加につながることが、真のアーティストの姿ではないか。

では、タレントをどう磨くか?

具体的には、
「お芝居」もあり得るだろう。
宝塚のようなミュージカルもあるかもしれない。
ダンスを磨き、ダンスパフォーマンスで魅せる方法もあるかもしれない。

そうそう、歌を磨くことを忘れてはならない。

いままで握手会があることが大前提だったので、アイディアも出なかったかもしれないが、
握手会がないことを自分たちに課して、新しい境地を開くことが、
今のAKBグループが存続するためには必要だと思う。

(ひろし)

【AKB48】【卒業】では済まされない、“AKB商法”の今後。3

そして私が一番問いたいのは、

今回の川栄さんの卒業を、他のメンバーはどう思っているのだろうか?

ということだ。

“ライバルが一人減った”くらいにしか思っていないのだろうか?

もしそうなら、今まで“愛”とか“友情”とか“絆”などのメッセージはただのパフォーマンスだったと言うことか?

AKBグループが、東日本大震災の後、再三にわたり東北を訪れた映像は、マスコミで繰り返し報道された。

あれは何のための訪問だったのか?

まあ、しょせん、作られた世界でのメッセージなので、信用する方がバカなのか?

どっちにしても、今回の【卒業】は、【悲劇】でしかない。

(つづく)

【AKB48】【卒業】では済まされない、“AKB商法”の今後。2

AKBの生命線である握手会で事故は起きた。
この時点で、運営側は、握手会に頼らないAKBを模索すべきだった。
しかし握手会以外の方法は見つからなかったのだろうか、
握手会は継続された。

そして、結果的に、握手会に出られないメンバーを作ってしまった。

握手会に出られない→AKBを続けられない→“卒業”?

という構図だ。

運営側は、握手会がないとCDは売れないと思っているのだろうか?

メンバーは、握手会がないとCDは売れないと思っているのだろうか?

もしそうだとすると、それは真のアーティストなのだろうか?
デビューしたての新人が、どさ回り的に、ファンとの交流を深めようとするのは、今までも行われてきた。

しかし、AKBグループが、ここまで日本全体に浸透し、実績を積み、社会現象とまでなった今、本当に握手会が必要なのだろうか?

今のAKBのファン達は、握手会がないと、本当にCDを購入しないのだろうか?

今までも、おまけ付きのCDが、おまけ目当てに大量購入され、
肝心のCDが大量に不遇の扱いをされてきたことは、各種の報道で明らかになっている。

まず、このことを、運営側やメンバーがどう思ってきたのか?

CDの販売数が、購入人数とはかけ離れているのではないか?との疑念は、いまだに晴らされていない。

もしかりに、握手会を辞めたとしても、
私は、相当数のCDは売れると思う。

ただやはり、握手権を目当てにしていた人は買わなくなるにちがいない。
しかしそれこそ、アーティストとしての掛け値なしの評価なのではないか?
その正味の評価から出発し、アーティストとしての真のスキルを身につけるべきなのではないか。

川栄さんは、「お芝居をやってみたい」と言った。

ならば、AKBみんなで芝居という分野にチャレンジしてみることもありだと思う。

(つづく)

【AKB48】【卒業】では済まされない、“AKB商法”の今後。

“握手会襲撃”AKB48・川栄李奈の卒業に、よしりんが持論「握手会出席を要求するヲタは、猛批判すべき」

握手会に参加できないことを理由に「卒業」すると報道があった。

ちょっと待って!

それは「卒業」ではなく「失業」ではないのか?
仕事中の事故なので、「労災」ではないのか?

一番悪いのは、加害者。
二番目に悪いのは、運営者。

本人には何の罪も落ち度もない。

なのに、「卒業」でカタがつけられる世界って、正常なのか?


そもそも「AKB」グループは、ファンとの距離の近さが人気の秘訣であった。
運営側は、それを見越しメンバーをファンの近くに配置することで利益を得てきた。

それなのに、いざ事故が起こると、なんの落ち度もない被害者が去らねばならないとは、なんと理不尽!なことか。

もしこの「卒業」で運営側が「解決」とするならば、
AKBは今後さらに世論の批判を浴びることになる。
ついには、運営自体がたちいかなくなる事態になりかねない。
(CDが売れない・メンバーが集まらない・・・など)


もしAKBが今後もタレント活動をやりたいなら、
これを機に“AKB商法”からの脱却が求められる。

つまり、握手会に頼らない、真のタレントとしての活動が求められる。
今までAKB商法は、低迷するCD業界の救世主として、業界全体(音楽業界・マスコミ)がこぞって応援してきた。

この商法については当初から批判はあった。
しかし業界は、その命運をAKB商法に委ねてきた。

そんな業界に対して、川栄の「卒業」は、「NO!」を意味する。

それでもメンバーを危険にさらすAKB商法。
万一事故に遭遇しても、何の補償も得られないAKB商法。

しょせんAKB商法とは、運営・業界のカネ儲けの手段でしかなかったのか・・・・・

(つづく)

【田原総一朗】氏にもの申す。②

しかし、そもそも「政治」とは、反主流派は少数であるが故に「反主流」なのだ。
だから、「主流派」よりも勢力=影響力が少ないのは、当たり前なのだ。

しかも、反主流派は、そこに属していても、苦労ばかり多く、メリットは少ない。当然主流派からの攻撃もある。

だから、やる人間は限られてくる。

それでも、「やっぱり、反主流派は大事よね」と思うなら、
そういう候補・政党を当選させなければならない。

つまり、国民ひとり一人の投票行動によってしか、政治は変えられない。

かつて、民主党が政権を担っていた時代も、
党内がまとまらず、なかなか「決められる政治」ができなかった。

「決められる政治」をしたいなら、党内・国会内に反主流派=野党はいない方がいい。

その典型がおとなりの「中国」だろう。

一党独裁、反主流派弾圧。

そういう「政治体制」で「決められる政治」を推し進めている。

おそらく安倍総理の念頭には、中国の「決められる政治」がイメージとして存在していると思う。

しかしこの「決められる政治」の体制は、何も、安倍総理の専有物ではなく、
次の政権も、やる気になればやれる体制なのだ。

現在の安倍総理の「決められる政治」を批判したいなら、
安倍総理以外の人間を総理大臣にすべく、国民が投票行動することが肝要だと思う。

(ふくやまひろし)

【田原総一朗】氏にもの申す。

【過去の閃き!!】【田原総一朗】氏にもの申す。

田原総一朗氏が、3月3日付けで送信した無料メルマガは、

“【田原総一朗】自民党の「反主流派」は、なぜここまで弱体化したのか?”

という内容でした。

《ざっくりいうと》

かつては党内野党=反主流派がいて、主流派に対してもの申していた。
しかし今は、小選挙区制の影響で、反主流派が当選できなくなり、主流派に対してもの申すことができなくなった。

という内容でしょう。

(ひろし)の意見。

小選挙区制に限らず、制度には、良い面と悪い面が必ずある。

かつての中選挙区制は、「悪い面」が多すぎるということで、
長年の議論の末、現在の小選挙区制に変わった。

小選挙区制も制定時点でも、今指摘されている問題はあったはず。
しかしそれでも、中選挙区制よりはましだろう・・・と、小選挙区制を導入したはず。

つまり、もともと小選挙区も、問題はあるという認識はあった。
それを今さら「問題だ。」というのもいかがなものでしょうか?

かつての中選挙区制の間は、「決められない政治」ということで、マスコミをはじめジャーナリスト達は現状を批判してきた。

しかし今は、小選挙区制のおかげで、「決められる政治」に変わってきた。

これは、いいワルイは別にして、長年日本のジャーナリスト達が望んできた体制ではないのか?

小選挙区制になったおかげで、「決められる政治」になったのに、
小選挙区制が、何か問題でもあるかのような論調は、ちょっと筋が違うと思う。

現状の小選挙区制のもとで、政権を批判するのは、野党の役目だ。
その野党がだらしないから、政権が「決められる政治」をしているのだ。

それがよろしくないというのであれば、以前のような中選挙区制、または大選挙区制に戻せばいい。

しかし、

(つづく)