2014年9月30日火曜日

【組体操】やっぱり、こういう意見が出てきましたね。

巨大化する組体操ピラミッド、最大200キロの負荷 大学准教授「これのどこが『教育』なのか」と指摘


ボクが言うと、あんまり信用がないけど、
こういう人が発言すると、説得力があるwww。

悲しいけど仕方がないwww。


自主的・希望者のみするのも、
キケンだと思いまっす。

(ひろし)

2014年9月24日水曜日

【新聞】「“紙”新聞のみらい」~国民を馬鹿にするな。新聞社。

「“紙”新聞のみらい」

今、朝日新聞をはじめ、“紙”新聞のありようが問われている。

一面、朝日が叩かれているようだが、叩けば叩くほど業界全体の信憑性が揺らぐことにもなりかねないので、諸場の刃だ。

しかしそもそも、新聞てなんなんだ?
そもそも、情報って、なんなんだ?

記者と称する誰かが、なにか作文をしたからといって、それは本当に事実なのか?真実なのか?

誰かが書いた記事は、その人にとっては、“真実”かもしれないが、ほかの人にとっては真実かどうかはわからない。主観の入らない作文はありえない。

よくツイッターやブログ記事の信憑性が疑問視されるが、一見不正確とか怪しいと言われる記事でも、書いたその本人にとっては、それは真実なのだ。

私もかつては、いわゆる全国紙や地方紙、その他の紙でできている新聞を多数購読したことがある。

しかし今は、購読紙新聞はゼロだ。

しかし、購読はしていないが、郵便ポストに届くフリーペーパーは、よく“利用”している。読むことはほとんどない。まあ昔、紙新聞を購読していた時代に利用していた利用方法だ。

生ゴミのゴミ箱の底に敷いて、袋の穴から水分がしみ出るのを防ぐ利用方法。
こどもの習字の墨汁が、他を汚すのを防ぐ利用方法。
玄関先を掃除するのに、水で湿らせてばらまいて、箒で掃く利用方法。
これらの利用方法に関しては、あの紙新聞はすこぶる役に立つ。

紙新聞各社は、紙新聞の購読数が減少していることを、“活字離れ”(=国民の責任)とのたまった。

ふざけるな!!

もうこの時点で、新聞社の信用はゼロだ。

さらに紙新聞社は、その解決策として、権力者に取り入ったのだ。
一つは文科省に学校で紙新聞を使ってもらうようにしたこと。

NIE 教育に新聞を

もう一つは、新聞に対する消費税を免除してもらうよう画策していること。

聞いてください!新聞への消費税軽減税率適用のこと|日本新聞協会

ここまでくると、(ひろし)的な評価は、“サイテ~”だ~~~っ

今は、私自身の経験で言っても、紙新聞を購読していた時代よりもずっと多くの活字を読んでいる。それは“紙”の上の活字ではなく、“ネット”の上の活字だ。

しかもその内容も、一社の記事だけではなく、数社、数十社、雑誌・企業のニュースや、個人のツイッターやブログ、海外のものも含めると、じつに多種多彩で膨大な情報・活字を、毎日毎日目にしているのだ。おそらく多くの日本人も、世界の人も同じだと思う。

今は、“活字離れ”ではなく、“紙新聞離れ”なのだ。

しかしこれは、“新聞離れ”ではない新聞社が発する情報は、依然として、情報源の一つとして、国民は必要としている。(信憑性があるかどうかは別にして。)ネットで配信されている紙新聞社の情報は、購読者数の数倍の人に閲覧されている。

しかしその必要性は、多種多様・種々雑多な情報や個人が発するツイッターやブログなどの情報と同列の、多数の(情報の)中の一つに成り下がったのは事実だ。


しかし情報とは本来、誰かが発した情報が、それがどんなに有名人や政治家が書いた作文であっても、唯一絶対に正確で正しくて、だれも疑問を挟み込む余地のないもの・・・ではない!!のだ。

それは、新聞社が発する情報も同じこと。つまり、全ての情報の信憑性は、フィフティフィフティなのだ。

そして一番の要は、種々雑多なフィフティフィフティの情報を、自分自身で確認することなのだ。自分自身で確認した情報だけが、自分にとっての真実の情報なのだ。(自分自身で直接確認できない情報は、信憑性はフィフティフィフティだと思った方がいい。)
そういう情報の真実を理解していない新聞社は、そもそも情報について語る資格はない。

結局の所、国民もそこに気づきはじめているのだ。

今後、“紙”新聞はどんどんと減少していくと思われる。しかし新聞社が発する情報は、ゼロになることはない。その信憑性の度合いが、大きくなるか?小さくなるか?だけのことだ。

信憑性の高低は、紙新聞社の一挙手一投足が作り上げるのだ。その一挙手一投足は、国民によって逐一監視されている。。

国民を馬鹿にするな。新聞社。

(ひろし)