2015年4月16日木曜日

二次以降情報が学問・文明を成り立たせてきた。

《引用》
脳の中ではそのパラレル処理がニューロンとニューロンの繋がりということで行われています。
《引用以上》

疑問、この情報も一次情報なのでしょうか?
疑問、全ての人が、全ての卒業生が、この情報を一次にさかのぼって検証する必要があるんでしょうか?

結論。

ボクらが手にする情報は、ほとんどが、誰かが検証したことを、信用して利用している(二次以降情報)。
さもないと、今の学問・文明自体も成り立たないと思う。

(ひろし)


【疑問?】【東大式辞】ちょっと疑問な、東大卒業式の式辞。


【疑問】学校で使っている検定済み教科書は、一次情報ですか?

【疑問】学校で使っている検定済み教科書は、一次情報ですか?

実際は二次以降情報だと思う。
しかし、これを小中高校生またはその保護者、又は教職員に自分で検証せよとは、さすがに言えませんよね。
いろいろ意見はあったとしても、一つの基準として皆さんも利用してますよね。

昔から、「教科書も疑え」と学者さん達は言いますが、
教科書と違うことを答案に書いても、大学には入れてくれませんよね。

せめて、東大の卒論に、「教科書の真偽を検証する」などのテーマもあっていいんじゃないですか?もしそういう論文があるなら、是非公表してほしいです。

軽々に、一次情報を検証せよとは言えないですよね。

(ひろし)

二次以降情報が学問・文明を成り立たせてきた。

【疑問】今の日本の人口は何人でしょうか?

今の日本の人口は何人でしょうか?

この単純な質問に正確に答えられる人は、いないでしょう。

もっとも正確な統計を出している総務省ですら、こう表現するしかないのです。


人口推計(平成26年(2014年)10月確定値,平成27年3月概算値) (2015年3月20日公表)

つまり、確定値は、平成26年10月の統計しかない。
平成27年3月の数値ですら概算値でしかない。しかも3月1日現在の数値でも、20日にならないと公表できない。
ましてや“今”の人口など、集計のしようがない。

そういう類の情報もあるのです。

結局、何かを決め手として、その数値を“人口”と判断するしかありません。
これは判断であって、事実とは違います。

で、ボクは、日本の人口を1億3000万人と表現しましたが、
実際には、1億2691万人(平成27年3月1日概算値)

で、「総人口」と「日本人人口」は違うみたいです。

情報って、奥が深いですね。

(ひろし)

【疑問】学校で使っている検定済み教科書は、一次情報ですか?

真の一次情報とは?2

つまり、(ひろし)が考える一次情報とは、その人が実際に体験したことだけです。
仮にその人が体験したことであっても、他人に伝聞したことは、他人にとっては二次以降情報です。

そう、今のマスコミ(テレビ、新聞など)で流れている情報は、全て二次以降情報です。
ネットで流れるツイッター・ブログなどの情報も、本人以外にとっては、全て二次以降情報です。

例えば、新聞やネットで「殺人事件がありました」という情報があったとしましょう。
これを、個人が直接確認することは、一部の人間を除いて不可能です。
ですから、ボクにとっての一次情報は、
「殺人事件がありましたという情報が流れている」という事実です。それだけです。
殺人事件が本当にあったかどうかは、ボクには確認できません。

つまり、全ての情報について、自分が確認することは不可能ですから、全ての情報を疑うことになります。

しかし実際には、全ての情報を疑えば、何も前に進まない。
だから、一定の基準で(自分の中の基準で)、その情報は事実だろう・・・という評価をして、それを前提に物事を前に進めるしかないのです。

そういう意味では、テレビや新聞の情報は、ほぼ、事実であると評価して、いろんなことを判断します。

しかし、100%事実かというと、そうでもないことは、読者のみなさまもお感じのことでしょう。
テレビや新聞でさえ、編集段階で、編集者の編集が入っていますので、編集者が変われば情報の中身も変わってきます。

では、ネットでのツイッター・ブログなどの情報はどうでしょうか?
テレビや新聞にくらべて、いっそう作者の作為が入っています。と思います。

だから、(ひろし)は、
“そういう情報がツイッターで流れている”という風に考えるようにしています。
他の多くのユーザーも、そういう意味でリツイート等していると思います。

東大でのツイッター批判は、そうでない人に対して警鐘を鳴らしているという意味では間違いではありません。

ただ、東大の式辞にあるように、「全ての人が一次情報を検証せよ」ということは、現実的ではありません。実際に、当の本人も、検証できてないと思います。

で、結論ですが、

情報は、100%事実でもなければ、100%ウソでもない。
一旦は、そういう情報もあるということを認識して、
その真偽は、様々な情報を総合しながら確度を上げる。
一次情報とは、その人が実際に体験したことだけ。
個人が直接検証できる情報は限られている。

そう思います。

みなさんはいかがお考えですか?

(ふくやまひろし)

【疑問】今の日本の人口は何人でしょうか?

真の一次情報とは?

(ひろし)も、情報を発信する人間として、情報発信のありかたについては非常に気を遣っているつもりです。

例えば、「どこかのお店が開店した。」という情報があったとしましょう。時々、読者の方から、情報も頂きます。
しかし(ひろし)的には、自分で実際に目視確認しない限り、読者の方からの情報は、二次以降情報でしかありません。

したがって、これをブログに載せる場合は、

“「○○というお店が開店した」という情報を頂きました。”

という表現しかできないのです。

つまり、自分が直接目視確認していない情報は、ボクにとっても二次以降情報です。
ですからこのブログで掲載する情報は、直接目視確認が原則です。

しかし、読者の方からすれば、ボクが直接目視して確認した情報であっても、読者の方が直接目視確認しない限り、やはり二次以降情報にしか過ぎません。
読者の方が本当に事実を確認したいなら、読者自身が直接目視することが必須です。

それで、問題なのは、「閉店」の場合です。
開店の場合は、店が営業している様子を直接目視すれば、開店した事実は判断できます。

しかし閉店の場合は、仮に営業していなかったとしても、それは臨時休業なのか閉店なのかの断定はできないのです。
張り紙などで「閉店しました」など、メッセージがあれば、「閉店」の断定はできますし、
経営者への取材で、「閉店」のコメントをいただければ、「閉店」の断定はできます。

しかし、2~3日営業していなかった場合などは、
ひょっとすれば、また再開するかもしれない・・・
とか、どこかで移転して営業しているかもしれない・・・
そんな可能性を想定すると、軽々に「閉店」とは言えないのです。

そこで、本ブログでは、情報掲載ポリシーを公表し、
情報の取り扱いについて、読者のみなさまと情報を共有できるようにお願いしています。

開店・閉店などの【情報掲載ポリシー】

(つづく)

真の一次情報とは?2

読めば読むほど矛盾だらけ。~東大の式辞。

東大の式辞が注目されているらしい。しかし、読めば読むほど矛盾に思える部分がある。

《引用》
マスコミはまるでこれが大河内総長自身の言葉であるかのように報道してしまった。
《引用以上》

これは一次情報ですか?
当時のマスコミが、どのように報道したかのデータはありますか?


《引用》
大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。
《引用以上》

この部分の事実はどうなのですか?何を根拠にそう言えるのですか?
“~だそうです”とは、憶測?伝聞?ですよね。“実際には言っていない。”と断言できないのですか?

しかも、自虐的に、
《引用》
下手をすると、これは「資料の恣意的な改竄」と言われても仕方がないケースです。
《引用以上》
とまで判断されるのであれば、なおさらキチンと真実を検証し、公表されるべきでは??

(つづく)真の一次情報とは?

【一次情報は?】カープは本当に勝ったのか??

昨日、カープは勝ったそうだが、
この情報は、一次情報に立ち返って検証する意味があるのか?

よく、野球に限らず、打率などデータが報道されますが、
そういうデータも、全ての国民が一次情報に立ち返って検証しなければならないのですか?

もし全ての国民が、全ての情報について、一次情報に立ち返って検証しなければ、その情報について議論する資格がないとすると、それは、途方もなく不便な世の中ではないのか?

(ひろし)

(つづく)

【疑問?】【東大式辞】ちょっと疑問な、東大卒業式の式辞。


信州大学の式辞は、【一次情報】に基づいているのか?

それで、信州大学の入学式の式辞と“併せて読むと興味深い」との情報もアリ、
そちらも読んでみた。



この中で、以下の部分が気になった。


「もう一つの歌は、」以下の部分で、


《以下引用》

文理学部同窓会誌に、宮坂敏夫さんが書かれた「作詞の経緯」によりますと、信州大学学生部が六十年安保闘争のデモに明けくれる学生の実態を見て、学内に潤いが欲しいと思って、学生歌の募集を始めたのではないかとあります。
《引用は以上》

この式辞を読んだ山沢先生は、宮坂さんの会誌に書かれた文章を引用され、学生歌の説明をしようとされているのですが、当の宮坂さんも、“始めたのではないか”と、はっきりとしたことは確認していないような書き方をしている。その情報を元に式辞を述べられている。


先の東大の式辞にある

あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、(略)”
が、本来であるべきなら、信州大学の式辞は、一次情報に基づいているといえるのだろうか?
もし一次情報に基づいているなら、“~~~のではないか”の6文字は不要なのではないか?

そして、この一次情報については、ボクらは検証することが可能なのだろうか?



・・・ボクの国語力、大丈夫ですかねえ??

(ひろし)の意見こちら


(ひろし)


(つづく)【一次情報は?】カープは本当に勝ったのか??

【疑問?】【東大式辞】ちょっと疑問な、東大卒業式の式辞。

東大の卒業式の式辞が注目されているらしい。が、(ひろし)的には、ちょっと疑問だ。

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞

まずは、
大河内一男先生が本当に、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」と“言っていない”なら、
なぜ50年もの間、東大の卒業生や教授達は、この問題を放置してきたのか?

そもそもこの式辞(平成26年度)の主の石井洋二郎先生は、
この“大河内一男先生が“言っていない”という事実を、いつの時点で知ったのか?

もし本当に、“報道”の責任で、「言っていない」ことが「言った」ことにされたのであるなら、
もっと早い時点で、キチンと“報道”に責任を追及すべきだったのではないか?
そして“言っていない”という真実を、世間に公表すべきだったのではないか?

真実でないことが真実として流布していることを知っておいて、50年もの間修正してこなかった東大の関係者は、ある意味一つアナのムジナではないのか?

ただこのことを石井先生が述べているには、大きな思い違いが根底にあることに気づく。

それは、石井先生が述べている以下の部分についてである。

《以下引用》
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、(略)”
《引用はここまで》

この部分は、一見正当なことを言っているように見えて、じつは理想ではあるが、現実的には実行不可能だということである。
今全世界で報道されている情報や、ツイッターやブログなどの情報の全てを、一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証することなど、この世にできる人間が一人でもいるのか???

ちなみに、石井先生に問うてみたいのですが、

【質問】
福島第一原発の原子炉の中は、本当にメルトダウンしているのですか?
ボクらは、報道によってメルトダウンしたと聞かされましたが、ボクはどうやってそれを自分の頭と足で検証することができるのですか?
もし本当にメルトダウンしているのなら、あなたはその事実をいつ知ったのですか?
マスコミの報道より前ですか?後ですか?
マスコミの報道より前に知ったなら、なぜそれを公表してこなかったのですか?
マスコミの報道より後なら、貴方は実際に自分の頭と足でメルトダウンの事実を確認したのですか?

仮にメルトダウンが真実だったとしても、ボクらが二次以降情報として得た場合、やっぱり、一億三千万人の日本人が全員、よってたかって福島第一に確かめに行かなければ、福島第一について語る資格が得られないとお考えなのですか?

ISが勢力を拡大していると報道されていますが、石井先生はこのことを一次情報として確認されましたか?

【(ひろし)の意見】

で、結局ボクが言いたいのは、
全ての情報について、その一次情報に立ち返って確認することは不可能であると言うこと。
ただし、そういう姿勢は大事ではあります。しかし全ての情報について、自分の足で確認することは不可能です。

では、そういう情報について、ボクらはどういうスタンスを取るべきなのか?

それは、“そういう情報が流れている”という事実を認めること。
そして、“全ての情報は、自分で真偽が確かめられないので、目の前の情報が正しいかどうかは、確定できない”ということを認識すること。

これが大前提で、なるべく一次情報にアクセスする努力を忘れないこと。

ということが言いたい。

みなさんはどう思われます?

(ふくやまひろし)

(つづく)

2015年4月15日水曜日

【過去の閃き】【夜間教室】もっといいアイディアがある。

夜間教室、公立中の5割に=都内で視察―安倍首相


《アイディア》

小学校から大学・大学院まで、
学校で教える内容を、
すべて、録画し、ネットで公開する。

そうすれば、
子供たちが、いつでもどこでも
何回でも授業を受けることができる。

予習・復習にもなる。

病気やイジメなどで、学校に行けない期間があっても
勉強が遅れることが少なくなる。

ネット授業をみてもよくわからないところを
学校で先生にきけるようにすると
もっと勉強の効率も上がる。

今、民間で、タブレットを使った勉強方法が提案されている。

当然有料だ。

今の日本は、小中学校は義務教育=無償といわれている。しかし現実には、副教材としてドリルやプリント類は別途、親が負担しているのが現実。これはかなりの出費だ。

しかし、義務教育は本来無料であるはずなので、
学校でわからないことを、
お金を出して塾やタブレットで習うのも、本末転倒

しかも、学校の授業は、
先生のスキルや経験の差が大きく、
授業のわかりやすさにばらつきが大きい。

そういうばらつきを是正するためにも、
ネットでの授業公開を、
文科省は導入すべきだと思う。

教員の人件費も大幅に削減できるし、
一挙両得

いい事ばかり。。。

みなさん、いかがでしょうか?

(ひろし)

「ニート25才」候補へのメッセージ。~がんばってください。

落選の「ニート25才」候補に千葉市長 「参院選比例区なら当選も」


今回の立候補で、社会に対して一歩前向きになれたことは、良かったですね。すばらしいことです。
これを機に、タネが大木になるように、今後もがんばって下さい。

ただし今後、再度議員などに立候補されるのであれば、次の点は、再考をされた方がいいと思います。

1,今回、何か思いがあって、それを実現しようと、一人で立候補されたことは、立派なことです。賞賛に値します。しかし一人では、なかなか自分の思う政策が実行できません。自分の考えに協力してくれる人、未熟さを指摘してくれる人、様々な人の助けがないと政策は実現しません。そのためには、少しずつでも仲間を増やした方がいいと思います。大阪の橋下市長の事例が参考になると思います。

2,なにか政策を実行するためには、“お金”が必要です。これを予算と言います。一つ一つの政策にどのくらいの予算がかかるのか、その予算をどのように捻出するのか、その点も政策実行には必須です。

3,貴方の今の社会の現状認識についての情報を、主にマスコミ・ネットから得られているようです。しかし、マスコミは、世論誘導があります。ネットは情報の出所が不明確です。(そう思った方がいいです。)そういう意味では、自分なりの社会の現状認識をより正確にするためには、またより実現可能な政策を立案するためには、自分で情報の真偽を確かめる努力が必要です。マスコミ・ネットの情報だけに頼りすぎないように意識した方がいいと思います。

(政策目標が現状とずれていれば、ムダな努力になりかねない→制度は変わったが、現状は何も変わらない→お金はかけたが、生活はよくならない・・・ということになりかねない。)

ご参考になればと、したためます。

※特に2について、
(ひろし)のところにも、選挙の時に投票をたのみに来る人がいます。
その人は、「うち(の政党)は、あれもやります、これもやります」と、福祉や教育の政策を述べられます。しかし(ひろし)が「予算はどうされますか?」ときくと、みなさん、「・・・・」無言になられます。今の日本は大きな借金を抱えていることはご存知だと思います。予算をどう捻出するか?これは大きな問題です。

マスコミは大衆受けする情報発信しかしていません。誰だって福祉は充実、教育も充実しているにこしたことはありません。しかし、全てお金がかかるのです。

そこで、上野竜太郎さんに一つ提案があります。今の財政の支出を大きく削減できる提案です。
削減されたお金を、他の政策に使うことが出来ます。

その提案はこちら

私の思いつきですので、具体的な金額は計算していません。が、明らかに予算の削減に貢献できると思います。よろしかったら、具体的な金額を計算してみて下さい。

※それと、自虐的な表現は止めた方がいいと思います。(個人的な意見です。)

(ひろし)