2014年4月11日金曜日

【小保方晴子】文系男子が読む、「小保方晴子さん会見コメント全文」

文系男子が読む、「小保方晴子さん会見コメント全文


~以下の記事は、こちらの資料のみを参考にしています。~

小保方晴子さん会見コメント全文



●文字から見るかぎり、小保方氏は、説明責任を果たしていない。

人生、いろんな事があると思いますが、
小保方氏が、本当に多くの皆様にご迷惑をおかけしてしまった」と思うなら、
起死回生、もう一度論文を提出し直すことをオススメします。



1,本当に、「私の不注意、不勉強、未熟さ」で、「多くの皆様にご迷惑をおかけしてしまったと思うなら、

→ もう一度、共同研究者達と論文を「再提出」すればいいのではないか?と、単純に思う。


2,本当に、「2報分のNature論文のデータを同時にまとめ執筆していく作業は私の能力を遥かに越えていた」「生物系の論文の基本的な執筆法や提示法について不勉強」「不注意」「結果的に多数の不備が生まれてしまった」なら、

→ もう一度、先輩、同僚、上司の指導を仰ぎながら、論文を「再提出」すればいいのではないか?


3,「多くの研究者の方々から見れば、考えられないようなレベルでの間違い」「この間違いによって論文の研究結果に影響しない」「実験は確実に行われており」「データも存在している」

→ もう一度、「多くの研究者から見ても、問題ない形で、」論文を「再提出」すればいいのではないか?


4,「そもそも私が正しく図表を提示していたならば、調査委員会自体も必要なく、」

→ 「正しい図表を提示して、」論文を「再提出」すればいいのではないか?


5,「STAP現象が論文の体裁上の間違いで否定されるのではなく、」

→ 「論文の体裁上の間違い」を整え直して、論文を「再提出」すればいいのではないか?


6,「科学的な実証・反証を経て、研究が進むことを(略)望んでおります。」

→ 科学的な実証・反証を経て、」論文を作成し直し、「再提出」すればいいのではないか?
それこそが、「研究が進む」第一歩ではないか?


以上が、文系男子の単純な感想です。


「不存在の証明は不可能」という言葉があります。
「存在する」ことの証明は、何でもいいから、一つ、「存在する」事実を見つければ事足ります。
しかし、「不存在」を証明することは、目前に、「ない」「ない」という事実をいくら重ねても、未知の領域にひょっとしたら「存在する」かもしれない・・・
世の中に、「未知の領域」が存在する限り、絶対に「ない」という証明にはならない・・・

つまり、「不存在の証明は不可能」ですが、「存在の証明は可能」なのです。
ですから、「200回」も証明は必要なく、たった「1回」でいいのです。キチンとした形で、論文を提出し直すことが、小保方氏が、自身への疑念を払拭するもっとも単純な行動だとおもいます。

それと、
こんな「不注意」「不勉強」「未熟」な研究者の論文が、何の検証も経ることもなく、世界に公表され、「多くの皆様にご迷惑をおかけしてしまった」ことの責任は、

個人の責任なのでしょうか?組織の責任なのでしょうか?

「個人の責任」ですまされる問題なのでしょうか?

今後も、理研は、同様の問題が起こった時は、
「個人の責任」として処理するのでしょうか?

今後の展開を注視したいと思います。

(ふくやまひろし)