相対的貧困がまだ取り上げられている。
甘い?時代のせい?NHKの「見えない貧困」特集に賛否
基本、自分の人生は自己責任。
そう捕らえた時点から自分の人生は始まる。
どんな境遇に生まれても、常に希望はある。
自分に希望がないと思う人は、まず、希望から見つけよう。
そして(ひろし)がどうしても気になる部分は、
「塾(家庭教師含む)にいけないのが貧困」か?ということ。
①みんなが行っているのにいけないから貧困なのか?
②それとも、塾に行かないと、学校の勉強について行けないからなのか?
(ひろし)は、どちらもNOだと思う。
もし本当に、塾に行かなければ学校の勉強について行けなくて、それが原因で進学をあきらめなければならないとしたら、それは、学校の責任・文部行政の責任ではないか?
だいたい、日本の教育は塾を当てにしすぎていると思う。
もし学校の勉強で受験に対応できないなら、そういう教育システム事態が間違っている。
で、じゃあ、塾では実際にはどんな授業をしているのか?
もし本当に、その授業がなければ、大学にいけないなら、その内容を学校でやればいい。なぜそれをやらない?
ドリルが足りないのか?それなら、学校でドリルの宿題をもっとたくさん出せばいい。
傾向と対策が足りないのか?それなら、東大の傾向と対策を学校でやればいい。
たしかに貧困は、様々な影響を子ども達に与える。しかしそれは、悪いことばかりではない。悪い部分だけを抽出して番組を編集するから誤解が生まれる。そういう誤解を広めようとしているとしか思えない。
で、結局何が問題なのかというと、“枠”が小さいことが問題なのだ。
みんな東大に入りたいのなら、全員を東大に入れてあげればいい。その上で、どんな勉強をするのか?しかし卒論とかで結局差がつく。そうなると、卒論でいい点を取るための塾が誕生する。
じゃあ、就職する時はどうなのか?仮に学校での成績を平等(例えば全員をA評定)にしたところで、会社や公務員試験に“枠”がある以上は、それに対応する塾が、結局できる。
結局どこまで行っても、金持ちは少しでも点数をとろうと、塾を作り上げていく。塾で足りなければ、家庭教師を雇う。
結局、絶対的は平等はありえない。
まずはそこに気づくべきだろう。
その上で。
つづき・・・
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