2015年7月8日水曜日

大森さんの出産シーン放映は是か?非か?2~問題の根本は?

(ひろし)が考える“もっと別の、根源的な側面”とは、ズバリ、
“人間の性”に関する考え方・感じ方の問題だということです。

そもそも、人間の出産とは、人間の誕生の場面で、最も神聖なシーンのはず。出産なしには人類の存続はありえない。

だのに・・・・・・な・・ぜ・・・・・・

人間は、人間の出産の場面を、公にしてこなかったのか??

それは、人間の性器を男性も女性も、公にしてはならないという法律によるからだろう。

では、なんでそんな法律ができたのか?

それは、“強制的に見せられるには耐えられない”という人間の感情からだと思う。

見せたい人がいて、見たい人がいて、
見せました。見ました。で、何の問題があるのか?

そこには、見たくない人が見せられる嫌悪感があるから、
法律に規定しているにすぎない。

今回の出産シーンの放送も、
見せたい人がいて、見たい人がいるのだから、
別に問題もなかっただろうに、

そこに、見たくない人がいるから、問題になるのではないか。

だとしたら、見せた大森さんを非難するのではなく、
見たくない自分をどう処遇するのかを考えた方がいいのではないか?

つまり、

1,見たくないなら、見ないようにする。
2,見たくないものを見せつけられない権利を主張し、法制化する。(タバコの嫌煙権のようなもの)

つまり、この結論が出ない問題に見える問題も、
結局は、皆さんが“自分はどうするか?”という視点が
結論を導くカギになるということです。

以上、皆さんのアタマを整理する一助になったでしょうか?

(ふくやまひろし)

そこで、(ひろし)がスポーツ番組を見ない理由。

“出産シーンが医師の目線から放映できる社会になること”が理想だ。

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