“常識”は、人によって異なる。
オトナの常識、子どもの常識。
オトコの常識、オンナの常識。
警察の常識、ドロボーの常識。
センセーの常識、生徒の常識。
日本の常識、アメリカの常識。
江戸時代の常識、今の常識。
様々な考え方があってこそ、人間社会。
だから、店の“常識”を文字化し、その“常識”を認められない人は出入り禁止にするのは正解。
客商売でよくあるのが、店員は表向きは“笑顔”が強制されているから、何でもニコニコするけど、
ウラに入ると、客の悪口を口汚く罵るというのはよくあること。日本は“おもてなし”とか言うけど、ウラでは悪口ばかり。
中途半端にニコニコするよりわかりやすくていいと思う。
小倉智昭氏が「注意書き」に苦言「常識の判断で分かる時代ではないのか」
で、写真の張り紙。
ペットショップで、臭いから“臭い”と言って、何が悪いのか?
あまりにも臭かったら、気分が悪くなろうが、でも、鼻をつまんではいけないのか?
こんなシチュエーションを想像すると、親は動物に興味はないが、子どもにせがまれて渋々ペットショップに連れて行かされた・・・そんな場面を想像する。
自分(=親)が好きでペットショップに行ったなら、臭いとは言わないと思う。
で、店の人も、臭いと言われて、何が気に食わないのか?
自分が好きで臭いものを扱っているのではないか?
オトナが言うからいけないのか?子どもならいいのか?
家でペットを飼うかどうかを決めるのは親が決めるのだ。
親が“臭い”という親は、普通は臭いペットは飼わない。何も飼わないか、臭くない金魚とか飼うと思う。じゃあ、それでも子どもが臭いペットを飼いたかったら、親を説得させないといけない。親が子どものペットを反対する理由は、最後まで面倒を見ないから、結局親が見ないといけなくなるから。だから反対する。臭いペットが嫌いな親なら、なおさらだ。
そういう親とのバトルを経て、はじめて臭いペットを飼うことができる。親が臭い臭いという親は、臭いペットは飼いたくないのだ。だから臭い臭いと言う。
そこんところを店の人も分かった上で、親を説得するか、子どもをけしかけるかして、何とか売らないといけない。
臭い臭いという親に、「臭い言うな!」という前に、「臭いペットでもこんなにかわいいよ」、とか、「家だったら、ショップと違って密度が小さいから、臭いはそんなに気になりませんよ。」とか、「臭い対策は、こうしたらいいですよ。」とか、何とか説得すればいい。
それが商売だと思う。
ただ、これは(ひろし)の考えであって、張り紙をする店は、それはそれで、店の考え方が良くわかっていいと思う。こういう張り紙がしてあるペットショップでは、(ひろし)は臭いペットは買わない。
それと、“父兄”ってのは、今は非常識なんだけど・・・
(ひろし)
“おもてなし”の本質~オモテではニコニコ、ウラでは客を罵倒する日本の接客業。①
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