2019年9月26日木曜日

【東大】【上野千鶴子】「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」の違和感②~女性は女性の役割がある #女子#東大#上野千鶴子

東大・上野千鶴子氏の入学式祝辞が話題になっている。
(ひろし)も読んでみたが、なぜか違和感を禁じ得なかった。
なぜなのだろうか?

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平成31年度東京大学学部入学式 祝辞


(ひろし)の感想

結局、上野氏は女性にどういう生き方をしてほしいのか?自分は女性としてどう生きたいのか?この祝辞からだけだといまいちはっきりとわからない。そこが違和感の根本のような気がする。(ひょっとしたら、別の媒体できちんと表現されているのか?)

確かに上野氏は、女性の価値が社会の中で正当に評価されていない、という思いもあるのだろう。

しかし現実の女性は、自分は社会の中でどう評価してほしいと思っているのだろうか?本当に男性とすべてが平等でないといけないと思っているのだろうか?

一般的に、平均値で言えば、
男性の方が女性より競争を好む。言い方を変えれば、暴力的とも言える。
女性の方が穏やかで控えめ。ましてや暴力はほとんど使わない。

そういう意味では、現実の社会では、男女が同じ土俵で勝負すれば、男子のほうが有利なのは、歴然。スポーツの世界を見るとよくわかる。

なので、自衛隊や軍隊が女性には不向きなのと同じように、現実社会では女性は男性よりも不向きだと思う。

さらに、現実社会では実際、男子であっても、学力が高ければ社会的地位が高いかというと、そうでもない。

学力よりも強いのは、金力であり、腕力(政治力=軍事力・バカ力(ばかりょく)・声力)なのである。

つまり、女性が男性と学力や金力で平等だったとしても、仮に女性の方が上であったとしても、腕力ではどうしても劣ってしまう。これが男女の現実だと思う。

女性もそのことはわかっていると思う。だから一歩下がって、男性を後ろから操ろうとする。だから、表面的には男性が優位に見える。

しかしその男性の後ろには厳然と女性がいる。

女性とは、そういう役回りをしている。それはそれで、すばらしいことだと(ひろし)は思います。

みなさんはいかが思われますか?

(ひろし)

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