2017年3月17日金曜日

【ジャーナリズム】が世論をミスリードする可能性

ちょっと偏った目線が気になったので、いくつか記事を検索してみた。

受動喫煙対策、中露も屈した「五輪前国際圧力」に日本も無力

記事を見る限り、この人の目線は、「情報戦」にあるらしい。
そう思えば、記事の方向性は見えてきたが、肝腎な部分は、なぜか見落とされている。

例えば、この記事。

受動喫煙対策、中露も屈した「五輪前国際圧力」に日本も無力

日本が受動喫煙対策を強いられているのは、「五輪前国際圧力」のせい(情報戦)だと言いたいのか?

(ひろし)は、それは違うでしょ、と言いたい。

煙で迷惑を被っている人がどれだけいるのか、喫煙者自身が理解していない。理解していれば、“法令”という結果は避けられたはずだ。それができていないから“法令”にまで話が及んでしまった。

(ひろし)の周りにも喫煙者がいる。
(ひろし)の知る限り、喫煙者にも、2通りの方がいる。
マナーを守る人と、マナーを守らない人だ。

マナーを守る喫煙者(以下A)にとっては、マナーを守らない喫煙者(以下B)は疎ましい存在であるに違いない。しかしかといって、AにはBの行動を変革させる力はない。つまり“強制力”=“法令”が必要なのだ。

そういう世論(受動喫煙対策)を作り上げてきた張本人は、Bの人である。
そこを無視して、五輪の受動喫煙対策を云々するのは、ポイントがズレいている。

で、結局この記者の記事は、「情報戦」に目線が行っているので、肝腎の真相からポイントがずれた物になっている。企業が行う「情報戦」という意味では、この記者の言う通りかもしれない。しかし表現を誤ると、世論をミスリードする可能性は否定できない。

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