2015年10月7日水曜日

【長谷川豊】なんだろう・・・・この・・・妙な・・・賛同感と・・・反発感と・・・

長谷川豊氏のご意見に、今回は妙に賛同してしまった。
こちらの記事↓

「微生物のおかげ」は美談でも何でもないのではないか?


しかし思い出してみれば、前回は、拒否したばかりなのだ。
こちらの記事↓

大阪府の教育委員会が組み体操のピラミッドを5段以下にしろ、と決定した件について


(ひろし)的に述べるなら、

「『微生物のおかげ』は美談でも何でもないのではないか?」(以下、ノーベル賞記事)では、完全なるアメリカ礼賛。氏がアメリカ在住経験があるだけに説得力は十分だ。

それに対して、「大阪府の教育委員会が組み体操のピラミッドを5段以下にしろ、と決定した件について」(以下、ピラミッド記事)では、完全なる日本礼賛。(この記事中にはアメリカ痛罵は出てこない・・・)

もし氏が、ノーベル賞記事中に述べているように、アメリカ的な社会が日本的な社会より優位であるとお考えなら、
  ↓  ↓  ↓
ピラミッド記事での結論は、“学校でピラミッドなんかやってるから日本経済は低迷するんだ”となるはず。

方やアメリカ礼賛、日本痛罵。方や日本礼賛。

長谷川氏のアタマの中がどうなっているか、全く理解できない。

しかし、よ~~~く自分自身を振り返って見ると、意外と端から見ると矛盾した言動をしているのかもしれない。さっき言ったことと全く逆のことを言ってみたり・・・

皆さんは、こんな経験はありませんか?

(ひろし)の周りにも、他人のルール違反やマナー違反を厳しく指摘している人が、意外と自分も別のルール違反やマナー違反をしているのです。つまり、自分の事は棚に上げて、他人を批判・指摘する。そういう人間の性。

だから昔から“人の振り見て我が振り直せ”とかいうことわざがあるのでしょう。

しかし、こんなことわざが本当に実践できるなら、世の中、争いごとやましてや戦争なんかなくなっているはず。

そういう意味では、“”の思想・実践は、意味のあることなのだろうと思えてくる。

(ひろし)

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