2013年11月1日金曜日

大変に残念だった、山本太郎議員の行動。


「山本太郎参院議員が秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した」とのこと。




{脱原発}を願う(ふくやまひろし)としては、
彼の活動には、注目をしていました。
(注:全面的に支持をしていたわけではありません。)

彼の行動は、今までも、若干配慮に欠ける部分がありましたので、
少々不安を感じる面もありました。

そういう部分が、
今回、こういう形で現れたものとは思います。



【今回の行為の問題点】~(ふくやまひろし)の考察による。


〈行為の事実〉
天皇陛下に直接、手紙を渡した。


〈問題点〉

1,天皇陛下に直接手紙を渡してはいけないという法令があるのか?

あれば、その法律に照らして処遇すべき。
なければ、特段の処遇の必要はないと思う。

2,議員としての態度について。仮に、1,の法令がなかったとして)

〈疑問〉天皇陛下に自己の主張を述べることが、政治的に何らかの効果があると思い込んでいるのか?

←現、憲法下では、現天皇が国政に何の権限も持たないことは、議員であるなら、認識しておくべきと思う。

②今の民主社会で、政治的意思を実現できるのは、「世論」による。つまり、国民ひとり一人の政治的意思による。

③ということは、「脱原発」という政策を実現したいなら、国民ひとり一人の考え方を「脱原発」の方向へリードし、多数派を構築する必要がある。

④そのためには、議員は国民ひとり一人に対して、何らかの働きかけを、議員の資格を利用して行うべき。
(←天皇の意思で政治が動くようなことがあれば、その方が問題だ。)


〈考察〉

いくら自分の意見が正しかったとして、
それが少数派であったとしても、
一人の天皇に何かを働きかけて、
それを実現させようとすることは、
今の民主社会では認められないことだと思う。

逆の立場に立ってみればいい。

様々な国民が、様々な思想で生活している。
その国民みんなが天皇に手紙を渡すようなことがあったとして、
受け取った天皇はどう判断すればいいのでしょうか?

ということは、
山本氏がどんなに現状を憂えて、
自己の非力を実感していたとしても、
だからといって、天皇になにがしかの力添えを求めることは、
民主社会ではNGと言わざるを得ない。

今までの皇室関係の報道を見る限り、
天皇陛下が、原発事故・放射能の現状をご存じないとは考えられない。

むしろ、そういう現状を十分に承知した上で、
あえて、政治的発言をしていないと考えられる。

私も「脱原発」を願う国民の一人として、
現状は、非常に無力感を感じている。

しかし、「脱原発」は、
一朝一夕には実現できないものと思う。

その実現には、
国民(=人間)ひとり一人の意識の変革が欠かせないからだ。

従って、
例え時間がかかっても、
国民のひとり一人が「脱原発」の意識が確立するように、
情報発信をするしか、
道はないと思う。


今回の山本氏の行動について、議員の間で、「"処分"を求める」声も上がっているようだが、
(ひろし)的には、それは必要ないと思う。

このような彼の行動は、国民が判断(投票行動)すべきであって、
議員同士で云々するべきではないと思う。

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