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2017年2月14日火曜日

【相対的貧困】解決方法はあるのか?②

しかしそもそも、なんで大学入試があんなに難しいのか?
学校の授業だけでは対応できないようになってしまったのか?

それは、塾や予備校がレベルを引き上げているからだ。
そういう塾や予備校を金持ちが支持しているから、どんどんといわゆる受験レベルが上がっている。

結局、経済に格差がある以上、教育(点数)の格差はなくならない。

それと、もう一つ見落としてはならない視点がある。

特に大学には“校風”があり、その校風について行けない人は、結局しんどい思いをする。

例えば、医学部。
当然ながら、医者の子ども達が多い。
そんな社会の中に、医者でない子どもが入ると、その世界の違いで、ストレスを感じることだろう。

セレブが集まる学校に、セレブでない子どもが入学すると、相当のストレスになると思う。(親も含めて)

となると、貧困そのものが悪い。だから貧困をなくそう。それなら、社会主義革命しかない。

しかし社会主義とて、完全に平等ではない。

つまり、人間とは、そもそも不平等な存在なのだ。しかし、だからこそ、それが個性になり、豊かな人間社会を構成していることも忘れてはならない。

日本の教育の世界では、“偏差値”=“点数”が信仰されているから、点数を基準に不平等が拡大表示される。

点数=偏差値以外にもっと個人の能力の多様性をわかりやすす示す指標があれば、“個性”として捕らえやすくなるに違いない。

それで、この稿のタイトルは、
「【相対的貧困】解決への方法~根本的な教育改革を。」

でしたね。
結局は、経済的平等が実現されない限り、教育の平等はありえない。ということ。

ただし、それでは解決にはなりませんから、具体的な方法をご提示します。

学校(小中高)が、生徒全員が東大に入れるだけの学習内容を準備する。タブレット・プリント・教科書ガイド・参考書など、塾や家庭教師が使っている教材を全て図書館や教室に準備し、いつでも閲覧できるようにする。

このくらいしかないと思います。

それでも、やってもやっても教育格差はなくならないと思います。
経済に格差がある以上は、教育格差はなくならないと思います。
経済格差をなくすのであれば、社会主義しかありません。
それがいいことなのかどうなのかは、世論次第だと思います。

(ひろし)的には、今の社会の中で、いかにしてがんばるか?
そういう人生が楽しいと思います。

そして日本は、基本的にはいい国だと思います。

(ひろし)

【相対的貧困】解決方法はあるのか?

相対的貧困がまだ取り上げられている。

甘い?時代のせい?NHKの「見えない貧困」特集に賛否

基本、自分の人生は自己責任。
そう捕らえた時点から自分の人生は始まる。
どんな境遇に生まれても、常に希望はある。
自分に希望がないと思う人は、まず、希望から見つけよう。

そして(ひろし)がどうしても気になる部分は、
「塾(家庭教師含む)にいけないのが貧困」か?ということ。

①みんなが行っているのにいけないから貧困なのか?
②それとも、塾に行かないと、学校の勉強について行けないからなのか?

(ひろし)は、どちらもNOだと思う。

もし本当に、塾に行かなければ学校の勉強について行けなくて、それが原因で進学をあきらめなければならないとしたら、それは、学校の責任・文部行政の責任ではないか?

だいたい、日本の教育は塾を当てにしすぎていると思う。
もし学校の勉強で受験に対応できないなら、そういう教育システム事態が間違っている。

で、じゃあ、塾では実際にはどんな授業をしているのか?
もし本当に、その授業がなければ、大学にいけないなら、その内容を学校でやればいい。なぜそれをやらない?

ドリルが足りないのか?それなら、学校でドリルの宿題をもっとたくさん出せばいい。

傾向と対策が足りないのか?それなら、東大の傾向と対策を学校でやればいい。

たしかに貧困は、様々な影響を子ども達に与える。しかしそれは、悪いことばかりではない。悪い部分だけを抽出して番組を編集するから誤解が生まれる。そういう誤解を広めようとしているとしか思えない。

で、結局何が問題なのかというと、“枠”が小さいことが問題なのだ。
みんな東大に入りたいのなら、全員を東大に入れてあげればいい。その上で、どんな勉強をするのか?しかし卒論とかで結局差がつく。そうなると、卒論でいい点を取るための塾が誕生する。

じゃあ、就職する時はどうなのか?仮に学校での成績を平等(例えば全員をA評定)にしたところで、会社や公務員試験に“枠”がある以上は、それに対応する塾が、結局できる。

結局どこまで行っても、金持ちは少しでも点数をとろうと、塾を作り上げていく。塾で足りなければ、家庭教師を雇う。

結局、絶対的は平等はありえない。

まずはそこに気づくべきだろう。

その上で。

つづき・・・

2016年12月17日土曜日

「相対的貧困」は何が問題か?~生活保護にもお金がかかる。

まとめ

人間、あれもこれもやりたいことはありますが、その全てが叶うわけではありません。本当に自分にとって必要なものは何か?将来のために、今、何をすべきなのか?そういうことを考え続けるのが人生です。もしあたなたが自分のことを「相対的貧困」だとお考えでしたら、それはまだ致命傷ではありません。(ひろし)的には、まだまだ努力・改善の余地はあると思いますし、また、そういう境遇の中から本当の政治家に出てもらいたいです。そうでないと貴方が望むような社会は実現しないからです。
 (ひろし)も理想は、みんなが豊かで幸せな社会です。しかし国も地方にも今はお金がないのです。貴方がお金がないとかんじているのと、同じくらいお金がないのです。そういう社会を変えてくれる人が現れるでしょうか?貴方が総理大臣になりますか?もしなったとしたらどういうお金の使い方をしますか?もし総理大臣にならないのなら、どういうお金の使い方をする大人になりますか?そういう国や貴方の将来像を考える良い機会だと思います。そして、その結果、例えばキューバのカストロ元議長のように、社会主義革命が必要だという結論に至るとしたら、それも選択肢の一つかもしれません。

ていうか、キューバは良い国だから移住した方がいい勧める人もいます。日本が気に入らなければ、どこかアメリカでもオーストラリアでもロシアでもシリアでもスーダンでもエジプトでもどこでも、移住するという手もあります。ベトナムでも人手不足だそうですし、目線を世界に向けてみるのも良いかもしれません。

NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した


追伸
だれだって、豊かな生活をしたいのは同じ。しかし現実は様々な制約がある。しかしその制約をどう乗り越えていくのか?というのが人生だと思う。いろんなひとがマスコミに登場しますが、オモテに出ている彼らは、一面成功者かもしれませんが、下積み時代や、どん底時代の話は、参考になります。それでも努力してもなおかつ、どうしても乗り越えられない部分があるとしたら、当然生活保護も含めて考えていいと思います。しかしその生活保護も、多くの納税者の血税であることも忘れないでください。

自分が「相対的貧困」だと感じる高校生が読む記事。②~(ひろし)のアドバイス

(ひろし)のアドバイス

まずは、他人から支援を受ける前に、自分にできることはないかを考える。

1,収入を上げる方法を考える。(ひろし)が子どもの頃には、家計を支えるために、自分の欲しいものを買うために、新聞配達などをしたものです。もちろん勉強との両立が大事ですが、限られた時間で、勉強やバイト、クラブ活動や趣味など、いろんなことをいっぱいやろうとする、できる力、そういう力は、オトナになって役に立ちます。

もし本当に貴方がお金に困っているなら、学校の先生にバイトの許可をもらいましょう。本当に貧困な家庭の生徒のバイトを禁止する学校があったら、そっちの方が問題です。

2,次に、今の生活から、支出を削減する方法を考えて実践してください。景気が良い時代に、支出が散漫になったまま、収入が少なくなってもずるずると無駄遣いがある可能性はありませんか?自由経済とは、景気には波があると言うことです。景気が良いときには、景気が良いときのお金の使い方があります。景気が悪くなったら、悪くなったときのお金の使い方があります。これを見極めるのが自由経済です。もしあなたが「生活がくるしい・・・」と感じているとしたら、「世の中の多くの会社も売り上げが上がらなくて困っているんじゃないか・・・」とか「だから給料が払えなくて困っているんじゃないか・・・」とか、考えて見てください。今の多くの会社は、どうやって経費を削減しようかと、苦心しています。いまの時代を生き残れるのは、経費削減ができる会社だと言っても過言ではありません。あなたも、家庭の経費削減に挑戦してみてください。

3,つぎに上の2のためにも、行政・民間の“無料”サービスを利用してみてください。どんなサービスがあるかよく分からない場合は、とりあえず市役所にでも、電話してみてください。まずは「お金がなくて困っている」ということを伝えてください。次に、具体的にどのように困っているか伝えてください。病院や学校、弁護士の無料相談など、意外と“無料”のサービスがあります。

4,②の進学について、貴方がもし「進学ができない」理由が本当にお金だけの問題なのか、よく見つめ直してみてください。たとえば、学費がより安い学校はないか?本当にその分野が自分に向いているのか?そもそも“進学”すれば、自分の人生、なんとかなるとお考えなのか?つまり、一言で“進学”と言っても、その中身は、本当に様々なのです。イメージだけで“進学”にこだわるのではなく、自分の人生全体を構想して、可能な進路を選択すること(就職することも含めて)は、アリだと思います。高卒でも、良い職場に恵まれ、夜間大学や通信大学で学歴を積み重ねている人もいます。また、社会人になってから、自分のお金で専門学校などに入学し直す人もいます。いろんな選択肢があるのです。

5,③の“満足な学習をうけられない”について。貴方にとって、満足な学習とは何ですか?今の学校では満足な学習が受けられないのですか?もしそう感じているのでしたら、まずは、学校の先生に“私はもっと勉強したい。どうしたら良いか?”と相談してみてください。「○○大学に行きたい。どういう勉強をしたらいいですか?」と相談してみてください。それで、十分な回答が得られないようでしたら、教育委員会にその旨を伝えてください。それでも解決しないなら、そのこと自体が大問題です。今、せっかく学校に通っているのでしたら、その学校枠内で十分な学習が補償されていないということは、先生方の怠慢以外のなにものでもありません。

6,④の“友達と遊びに行けない”とありますが、そもそも友達がいないと不幸だという考えは当てはまりません。“友達はいらない”と公言するタレントもいます。(ひろし)には“友達”と“遊ぶ”という発想自体がありません。それでも、不幸だと感じたことはありません。じゃあ、友達と遊びに行くとは、具体的にどういうことなのですか?映画に行くことですか?買い物に行くことですか?それは、今じゃなければいけませんか?その買い物は本当に生活に必要なものなのですか?そのお金、その時間は、勉強に回した方が進学には有利なのではないですか?貴方を誘ってくるお友達は、どんな境遇の人ですか?進路の希望はどうなのですか?率直に言って、貴方のためにならない人なら、お付き合いをやめればいいのではないですか?(これはオトナの世界でも同じようなことはあります。)

まとめ

「相対的貧困」のどこが問題なのか?


NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した

これは文章がおかしいと思う。

正解は、

「世間からバッシングを受けるような番組を作ったNHKが、結果的に問題の本質を覆い隠すこととなった」

だと思う。

つまり、バッシングをする方が悪いのではなく、バッシングされるような番組を作ったNHKが悪いのではないか?

しかしそれも分かった上で、あの番組で登場した女子高生を「貧困」と呼ぶのは、それなりの政治的意図があってのことなのか?

そもそも、こちらの方のご主張、ちょっとわかりにくいところがあるんですが、




NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した

この人の記事を引用すると、

《引用》

「相対的貧困」とは、その社会において、平均的な暮らしを送ることができていないことを指す。たとえば戦争で焼け出された難民のように、食べるものや着るものに困窮している「絶対的貧困」とは違う。
病院に行けない、進学ができない、満足な学習を受けられない、友達と遊びに行けないーー。貧困状態にない人が当たり前に送っている、そんな生活が難しい人たちだ。

《引用以上》

つまり、“その社会において、平均的な暮らしを送ることができていないことを指す”と。

で、そもそも相対的貧困とか、決まった定義があるのか?この人が独自に作り出した言葉なのか?

「相対的貧困」とは、“「絶対的貧困」より少し上の層”ということか?

この人の定義を基準にすれば、(ひろし)的には、「絶対的貧困」には何らかの公的支援が必要だが、「相対的貧困」にはさほど公的支援が必要ないのではないか?つまり、財政にゆとりがある場合は、もちろん支援できようが、財政にゆとりがない場合は、少しずつ削減される可能性のある部分という意味。

もともと“相対的”と言っているように、景気の波の中で、その基準は変わっていくのでしょう。景気の波に影響を受けるのは、自由経済の法則です。その波をいかに乗り越えていくかが、自由経済下での経済活動です。その過程で、波に乗る人、波に呑まれる人、様々な生き様があるのが自由経済です。

そこを前提にする限り、「絶対的貧困」層以外の部分の生活向上を公的に支援すべきという考え方は、基本、“共産主義”的な思想でしょう。
(もちろん共産主義も、国民に幸福をもたらすのであれば、排除される選択肢ではありません。)

ということは、結局この人の主張は、日本の財政の一部を、「相対的貧困」層にももっと分配すべきだということなのでしょう。ということは、財政全体の収入・支出を議論しなければなりません。この方はそこの所をどうしようとしているのでしょうか?

何処の国も家庭も、財政は基本の思想です。生きる糧をどこから得て、どう使うのか?

財源にゆとりがあれば、何だってできますが、今の財源では中々厳しいのではないでしょうか?

財源を語らずに“福祉”を求めるのは、どこぞの三流政治家でしょうか?

・・・さて、財源をどうしますか?

(つづく)