とは言うものの、じゃあ、人間関係をゼロにできるか?
と問われると、それはNO!だ。どんなに人間を排除しようと思っても、スーパーに行けばレジのスタッフがいるし、役所に行っても担当の人間がいる。人間やっている限り、人間を完全に排除することはできない。
じゃあ、自分の周りに存在する人間とどう接するか?
それは、人間を“役割”として捕らえ直してみると言うこと。
目の前のレジのスタッフは、自分にとって、どんな役割を演じるためにそこにいるのか?そういうフィーリングで人間を見てみる。
そうしていくと、いろんな人間の存在が、自分にとって“都合のいい”役割を担ってくれていることに気づくことが多くなってくる。
例えば、レジのスタッフは、ボクに買い物という欲求を満たしてくれるために、そこにいる。それ以外では、この人とは関係ない。
役所の窓口の担当者は、ボクの手続きをしてくれるためにそこにいる。それ以外では関係ない。
そうやって自分の周りにいるいろんな人の役割を突き詰めていくと、けっこう、自分にとって重要な役割を担っている。
じゃあ、そういう人間と、みんなと友達になるかというと、それはほとんどの場合、ない。
つまり、人間関係は、距離感が大事だと言うことに気づく。
周りの人間との関係性を見極め、適切な距離感に置く。
これが(距離感が)人間関係の極意であると気づく。
人間関係の距離感とは、それは、精神的な距離感もあるし、物理的な距離感もある。
そうやって、うまく距離を保ちながら生きていくと、人間が信用できなくても、なんとかうまく生きていける。
人間関係に悩んでいる人は、“距離感”を見つめ直してみてはいかがでしょうか?
実際的には、人間を遠ざけるということになる場合が多いと思います。
結論。友達はいなくても生きていける。別に不幸でもない。
タモリの「友達なんかいらない」に橋田寿賀子が共感する理由 より
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2017年1月23日月曜日
結局の所は、“友達”の定義によるんじゃないか?~最近増えた、タレントの「友達いらない」発言について
最近、「友達はいらない」的な発言をするタレントが増えて来たと思う。
以前は友達は多い方がいいとか、友達が多い方が幸せだとか、そんな記事が多かった。
タモリの「友達なんかいらない」に橋田寿賀子が共感する理由
しかし突き詰めてみると、結局は“友達”の定義によるんじゃないかと思う。
だれだって自分に都合のいい友達はたくさんいてほしいし、都合の悪い友達はほしくない。
しかし、自分に都合のいい友達だと思っていても、いつか、都合が悪くなったり、その逆もある。長い人生を経験していると、そういうことに出くわす。
それで結局、自分に都合のいい人間だけを自分の周りに集めておくことが不可能だと言うことに気づく。
そうなると、自分の周りに人間を置きたくなくなってくる。(これが熟年離婚の理由でもあると思う。)
実を言うと(ひろし)も、“友達はいらない”派だ。(ひろし)の場合は若いときからだが。
しかし、人生の先輩達が、“友達がいないのは人間じゃない”的なアドバイスが多々あったので、なんとか友達を作ろうと努力してきた。しかし結果的には友達はたくさんはできなかった。
友達ができない理由を探してみると、“他人が信用できない”ということにつきる。昨日まで味方だと思っていた人が、急に敵になったり、逆もあったり、結局信用できない。だから付き合わない方がキズが浅くて済む。そういう気持ちだった。
ところが、じゃあ“自分は信用できる人間なのか?”と問い詰めたとき、“自分ですら信用できない人間である”ことに気づいた。自分は他人を信用できないと言っているが、よく考えてみると自分だって他人から信用されるような人間ではない。
つまり、自分も含めて、他人も“どうせ人間なんか信用できないんだ”と思うと、かえって気持ちがすっきりした。信用しようと思うから裏切られたときにハラが立つ。はじめから“この人も裏切るかもしれないね・・・”と思いながら人と付き合うと、実際に裏切られても、特にはハラは立たない。
そう思うと、人とのお付き合いが、楽になった。自分だって他人を裏切ることがあるんだから、他人なんか信用できない。だから最初から信用せずに付き合う。
これ、楽でっせ~~~
とは言うものの・・・・
以前は友達は多い方がいいとか、友達が多い方が幸せだとか、そんな記事が多かった。
タモリの「友達なんかいらない」に橋田寿賀子が共感する理由
しかし突き詰めてみると、結局は“友達”の定義によるんじゃないかと思う。
だれだって自分に都合のいい友達はたくさんいてほしいし、都合の悪い友達はほしくない。
しかし、自分に都合のいい友達だと思っていても、いつか、都合が悪くなったり、その逆もある。長い人生を経験していると、そういうことに出くわす。
それで結局、自分に都合のいい人間だけを自分の周りに集めておくことが不可能だと言うことに気づく。
そうなると、自分の周りに人間を置きたくなくなってくる。(これが熟年離婚の理由でもあると思う。)
実を言うと(ひろし)も、“友達はいらない”派だ。(ひろし)の場合は若いときからだが。
しかし、人生の先輩達が、“友達がいないのは人間じゃない”的なアドバイスが多々あったので、なんとか友達を作ろうと努力してきた。しかし結果的には友達はたくさんはできなかった。
友達ができない理由を探してみると、“他人が信用できない”ということにつきる。昨日まで味方だと思っていた人が、急に敵になったり、逆もあったり、結局信用できない。だから付き合わない方がキズが浅くて済む。そういう気持ちだった。
ところが、じゃあ“自分は信用できる人間なのか?”と問い詰めたとき、“自分ですら信用できない人間である”ことに気づいた。自分は他人を信用できないと言っているが、よく考えてみると自分だって他人から信用されるような人間ではない。
つまり、自分も含めて、他人も“どうせ人間なんか信用できないんだ”と思うと、かえって気持ちがすっきりした。信用しようと思うから裏切られたときにハラが立つ。はじめから“この人も裏切るかもしれないね・・・”と思いながら人と付き合うと、実際に裏切られても、特にはハラは立たない。
そう思うと、人とのお付き合いが、楽になった。自分だって他人を裏切ることがあるんだから、他人なんか信用できない。だから最初から信用せずに付き合う。
これ、楽でっせ~~~
とは言うものの・・・・
2016年12月17日土曜日
「相対的貧困」は何が問題か?~生活保護にもお金がかかる。
まとめ
人間、あれもこれもやりたいことはありますが、その全てが叶うわけではありません。本当に自分にとって必要なものは何か?将来のために、今、何をすべきなのか?そういうことを考え続けるのが人生です。もしあたなたが自分のことを「相対的貧困」だとお考えでしたら、それはまだ致命傷ではありません。(ひろし)的には、まだまだ努力・改善の余地はあると思いますし、また、そういう境遇の中から本当の政治家に出てもらいたいです。そうでないと貴方が望むような社会は実現しないからです。
(ひろし)も理想は、みんなが豊かで幸せな社会です。しかし国も地方にも今はお金がないのです。貴方がお金がないとかんじているのと、同じくらいお金がないのです。そういう社会を変えてくれる人が現れるでしょうか?貴方が総理大臣になりますか?もしなったとしたらどういうお金の使い方をしますか?もし総理大臣にならないのなら、どういうお金の使い方をする大人になりますか?そういう国や貴方の将来像を考える良い機会だと思います。そして、その結果、例えばキューバのカストロ元議長のように、社会主義革命が必要だという結論に至るとしたら、それも選択肢の一つかもしれません。
ていうか、キューバは良い国だから移住した方がいい勧める人もいます。日本が気に入らなければ、どこかアメリカでもオーストラリアでもロシアでもシリアでもスーダンでもエジプトでもどこでも、移住するという手もあります。ベトナムでも人手不足だそうですし、目線を世界に向けてみるのも良いかもしれません。
NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した
追伸
だれだって、豊かな生活をしたいのは同じ。しかし現実は様々な制約がある。しかしその制約をどう乗り越えていくのか?というのが人生だと思う。いろんなひとがマスコミに登場しますが、オモテに出ている彼らは、一面成功者かもしれませんが、下積み時代や、どん底時代の話は、参考になります。それでも努力してもなおかつ、どうしても乗り越えられない部分があるとしたら、当然生活保護も含めて考えていいと思います。しかしその生活保護も、多くの納税者の血税であることも忘れないでください。
人間、あれもこれもやりたいことはありますが、その全てが叶うわけではありません。本当に自分にとって必要なものは何か?将来のために、今、何をすべきなのか?そういうことを考え続けるのが人生です。もしあたなたが自分のことを「相対的貧困」だとお考えでしたら、それはまだ致命傷ではありません。(ひろし)的には、まだまだ努力・改善の余地はあると思いますし、また、そういう境遇の中から本当の政治家に出てもらいたいです。そうでないと貴方が望むような社会は実現しないからです。
(ひろし)も理想は、みんなが豊かで幸せな社会です。しかし国も地方にも今はお金がないのです。貴方がお金がないとかんじているのと、同じくらいお金がないのです。そういう社会を変えてくれる人が現れるでしょうか?貴方が総理大臣になりますか?もしなったとしたらどういうお金の使い方をしますか?もし総理大臣にならないのなら、どういうお金の使い方をする大人になりますか?そういう国や貴方の将来像を考える良い機会だと思います。そして、その結果、例えばキューバのカストロ元議長のように、社会主義革命が必要だという結論に至るとしたら、それも選択肢の一つかもしれません。
ていうか、キューバは良い国だから移住した方がいい勧める人もいます。日本が気に入らなければ、どこかアメリカでもオーストラリアでもロシアでもシリアでもスーダンでもエジプトでもどこでも、移住するという手もあります。ベトナムでも人手不足だそうですし、目線を世界に向けてみるのも良いかもしれません。
NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した
追伸
だれだって、豊かな生活をしたいのは同じ。しかし現実は様々な制約がある。しかしその制約をどう乗り越えていくのか?というのが人生だと思う。いろんなひとがマスコミに登場しますが、オモテに出ている彼らは、一面成功者かもしれませんが、下積み時代や、どん底時代の話は、参考になります。それでも努力してもなおかつ、どうしても乗り越えられない部分があるとしたら、当然生活保護も含めて考えていいと思います。しかしその生活保護も、多くの納税者の血税であることも忘れないでください。
自分が「相対的貧困」だと感じる高校生が読む記事。②~(ひろし)のアドバイス
(ひろし)のアドバイス
まずは、他人から支援を受ける前に、自分にできることはないかを考える。
1,収入を上げる方法を考える。(ひろし)が子どもの頃には、家計を支えるために、自分の欲しいものを買うために、新聞配達などをしたものです。もちろん勉強との両立が大事ですが、限られた時間で、勉強やバイト、クラブ活動や趣味など、いろんなことをいっぱいやろうとする、できる力、そういう力は、オトナになって役に立ちます。
もし本当に貴方がお金に困っているなら、学校の先生にバイトの許可をもらいましょう。本当に貧困な家庭の生徒のバイトを禁止する学校があったら、そっちの方が問題です。
2,次に、今の生活から、支出を削減する方法を考えて実践してください。景気が良い時代に、支出が散漫になったまま、収入が少なくなってもずるずると無駄遣いがある可能性はありませんか?自由経済とは、景気には波があると言うことです。景気が良いときには、景気が良いときのお金の使い方があります。景気が悪くなったら、悪くなったときのお金の使い方があります。これを見極めるのが自由経済です。もしあなたが「生活がくるしい・・・」と感じているとしたら、「世の中の多くの会社も売り上げが上がらなくて困っているんじゃないか・・・」とか「だから給料が払えなくて困っているんじゃないか・・・」とか、考えて見てください。今の多くの会社は、どうやって経費を削減しようかと、苦心しています。いまの時代を生き残れるのは、経費削減ができる会社だと言っても過言ではありません。あなたも、家庭の経費削減に挑戦してみてください。
3,つぎに上の2のためにも、行政・民間の“無料”サービスを利用してみてください。どんなサービスがあるかよく分からない場合は、とりあえず市役所にでも、電話してみてください。まずは「お金がなくて困っている」ということを伝えてください。次に、具体的にどのように困っているか伝えてください。病院や学校、弁護士の無料相談など、意外と“無料”のサービスがあります。
4,②の進学について、貴方がもし「進学ができない」理由が本当にお金だけの問題なのか、よく見つめ直してみてください。たとえば、学費がより安い学校はないか?本当にその分野が自分に向いているのか?そもそも“進学”すれば、自分の人生、なんとかなるとお考えなのか?つまり、一言で“進学”と言っても、その中身は、本当に様々なのです。イメージだけで“進学”にこだわるのではなく、自分の人生全体を構想して、可能な進路を選択すること(就職することも含めて)は、アリだと思います。高卒でも、良い職場に恵まれ、夜間大学や通信大学で学歴を積み重ねている人もいます。また、社会人になってから、自分のお金で専門学校などに入学し直す人もいます。いろんな選択肢があるのです。
5,③の“満足な学習をうけられない”について。貴方にとって、満足な学習とは何ですか?今の学校では満足な学習が受けられないのですか?もしそう感じているのでしたら、まずは、学校の先生に“私はもっと勉強したい。どうしたら良いか?”と相談してみてください。「○○大学に行きたい。どういう勉強をしたらいいですか?」と相談してみてください。それで、十分な回答が得られないようでしたら、教育委員会にその旨を伝えてください。それでも解決しないなら、そのこと自体が大問題です。今、せっかく学校に通っているのでしたら、その学校枠内で十分な学習が補償されていないということは、先生方の怠慢以外のなにものでもありません。
6,④の“友達と遊びに行けない”とありますが、そもそも友達がいないと不幸だという考えは当てはまりません。“友達はいらない”と公言するタレントもいます。(ひろし)には“友達”と“遊ぶ”という発想自体がありません。それでも、不幸だと感じたことはありません。じゃあ、友達と遊びに行くとは、具体的にどういうことなのですか?映画に行くことですか?買い物に行くことですか?それは、今じゃなければいけませんか?その買い物は本当に生活に必要なものなのですか?そのお金、その時間は、勉強に回した方が進学には有利なのではないですか?貴方を誘ってくるお友達は、どんな境遇の人ですか?進路の希望はどうなのですか?率直に言って、貴方のためにならない人なら、お付き合いをやめればいいのではないですか?(これはオトナの世界でも同じようなことはあります。)
まとめ
まずは、他人から支援を受ける前に、自分にできることはないかを考える。
1,収入を上げる方法を考える。(ひろし)が子どもの頃には、家計を支えるために、自分の欲しいものを買うために、新聞配達などをしたものです。もちろん勉強との両立が大事ですが、限られた時間で、勉強やバイト、クラブ活動や趣味など、いろんなことをいっぱいやろうとする、できる力、そういう力は、オトナになって役に立ちます。
もし本当に貴方がお金に困っているなら、学校の先生にバイトの許可をもらいましょう。本当に貧困な家庭の生徒のバイトを禁止する学校があったら、そっちの方が問題です。
2,次に、今の生活から、支出を削減する方法を考えて実践してください。景気が良い時代に、支出が散漫になったまま、収入が少なくなってもずるずると無駄遣いがある可能性はありませんか?自由経済とは、景気には波があると言うことです。景気が良いときには、景気が良いときのお金の使い方があります。景気が悪くなったら、悪くなったときのお金の使い方があります。これを見極めるのが自由経済です。もしあなたが「生活がくるしい・・・」と感じているとしたら、「世の中の多くの会社も売り上げが上がらなくて困っているんじゃないか・・・」とか「だから給料が払えなくて困っているんじゃないか・・・」とか、考えて見てください。今の多くの会社は、どうやって経費を削減しようかと、苦心しています。いまの時代を生き残れるのは、経費削減ができる会社だと言っても過言ではありません。あなたも、家庭の経費削減に挑戦してみてください。
3,つぎに上の2のためにも、行政・民間の“無料”サービスを利用してみてください。どんなサービスがあるかよく分からない場合は、とりあえず市役所にでも、電話してみてください。まずは「お金がなくて困っている」ということを伝えてください。次に、具体的にどのように困っているか伝えてください。病院や学校、弁護士の無料相談など、意外と“無料”のサービスがあります。
4,②の進学について、貴方がもし「進学ができない」理由が本当にお金だけの問題なのか、よく見つめ直してみてください。たとえば、学費がより安い学校はないか?本当にその分野が自分に向いているのか?そもそも“進学”すれば、自分の人生、なんとかなるとお考えなのか?つまり、一言で“進学”と言っても、その中身は、本当に様々なのです。イメージだけで“進学”にこだわるのではなく、自分の人生全体を構想して、可能な進路を選択すること(就職することも含めて)は、アリだと思います。高卒でも、良い職場に恵まれ、夜間大学や通信大学で学歴を積み重ねている人もいます。また、社会人になってから、自分のお金で専門学校などに入学し直す人もいます。いろんな選択肢があるのです。
5,③の“満足な学習をうけられない”について。貴方にとって、満足な学習とは何ですか?今の学校では満足な学習が受けられないのですか?もしそう感じているのでしたら、まずは、学校の先生に“私はもっと勉強したい。どうしたら良いか?”と相談してみてください。「○○大学に行きたい。どういう勉強をしたらいいですか?」と相談してみてください。それで、十分な回答が得られないようでしたら、教育委員会にその旨を伝えてください。それでも解決しないなら、そのこと自体が大問題です。今、せっかく学校に通っているのでしたら、その学校枠内で十分な学習が補償されていないということは、先生方の怠慢以外のなにものでもありません。
6,④の“友達と遊びに行けない”とありますが、そもそも友達がいないと不幸だという考えは当てはまりません。“友達はいらない”と公言するタレントもいます。(ひろし)には“友達”と“遊ぶ”という発想自体がありません。それでも、不幸だと感じたことはありません。じゃあ、友達と遊びに行くとは、具体的にどういうことなのですか?映画に行くことですか?買い物に行くことですか?それは、今じゃなければいけませんか?その買い物は本当に生活に必要なものなのですか?そのお金、その時間は、勉強に回した方が進学には有利なのではないですか?貴方を誘ってくるお友達は、どんな境遇の人ですか?進路の希望はどうなのですか?率直に言って、貴方のためにならない人なら、お付き合いをやめればいいのではないですか?(これはオトナの世界でも同じようなことはあります。)
まとめ
自分が「相対的貧困」だと感じる高校生が読む記事。①
(つづき)
NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した
さらに、議論がわかりにくいところがあります。この人の定義によると、
《引用》
「病院に行けない、進学ができない、満足な学習を受けられない、友達と遊びに行けないーー。貧困状態にない人が当たり前に送っている、そんな生活が難しい人たちだ。
《引用以上》
とあります。
①例えば、“病院に行けない”とありますが、一言で病院と言っても、日常のカゼなどの軽微な症状で病院に行くことと、重篤な慢性症状などで病院に行くことでは、その経費や意義に雲泥の差があります。
②“進学ができない”と言っても、その個人の能力や資質・適性の問題もあり、奨学金を利用してでも、自宅通学してでも“進学”が果たしてできないのか?通信や夜間という選択肢はダメなのか?
③“満足な学習をうけられない”とありますが、これはどういう意味なのでしょうか?学校以外の学習?つまり、塾や家庭教師のようなものを差しているのでしょうか?今のところ日本では義務教育以外は、自己責任となっています。その義務教育の内容がどこか問題があると言うことなのでしょうか?自分が通っている高校の学習内容に問題があるということなのでしょうか?
④“友達と遊びに行けない”とありますが、金かかる友達とカネ掛けて遊ぶことだけが、友情なのでしょうか?
仮に貧困だったとして、それが原因で“いじめ”があったとしたら、それは“いじめ”が悪いのであって、“貧困”は直接的な原因ではありません。義務教育で、“いじめはダメ!”という教育を徹底することが本筋です。また、貧困だからいじめられると思うのは、逆に社会が平均を強要しすぎるからと言う側面もあるのではないでしょうか?
それで、上記①~④が理由で、自分が「相対的貧困」かも?と思った人は、
(ひろし)のアドバイスを参考にしてみてください。
NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した
(ひろし)のアドバイス
「相対的貧困」のどこが問題なのか?
NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した
これは文章がおかしいと思う。
正解は、
「世間からバッシングを受けるような番組を作ったNHKが、結果的に問題の本質を覆い隠すこととなった」
だと思う。
つまり、バッシングをする方が悪いのではなく、バッシングされるような番組を作ったNHKが悪いのではないか?
しかしそれも分かった上で、あの番組で登場した女子高生を「貧困」と呼ぶのは、それなりの政治的意図があってのことなのか?
そもそも、こちらの方のご主張、ちょっとわかりにくいところがあるんですが、

NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した
この人の記事を引用すると、
《引用》
「相対的貧困」とは、その社会において、平均的な暮らしを送ることができていないことを指す。たとえば戦争で焼け出された難民のように、食べるものや着るものに困窮している「絶対的貧困」とは違う。
病院に行けない、進学ができない、満足な学習を受けられない、友達と遊びに行けないーー。貧困状態にない人が当たり前に送っている、そんな生活が難しい人たちだ。
《引用以上》
つまり、“その社会において、平均的な暮らしを送ることができていないことを指す”と。
で、そもそも相対的貧困とか、決まった定義があるのか?この人が独自に作り出した言葉なのか?
「相対的貧困」とは、“「絶対的貧困」より少し上の層”ということか?
この人の定義を基準にすれば、(ひろし)的には、「絶対的貧困」には何らかの公的支援が必要だが、「相対的貧困」にはさほど公的支援が必要ないのではないか?つまり、財政にゆとりがある場合は、もちろん支援できようが、財政にゆとりがない場合は、少しずつ削減される可能性のある部分という意味。
もともと“相対的”と言っているように、景気の波の中で、その基準は変わっていくのでしょう。景気の波に影響を受けるのは、自由経済の法則です。その波をいかに乗り越えていくかが、自由経済下での経済活動です。その過程で、波に乗る人、波に呑まれる人、様々な生き様があるのが自由経済です。
そこを前提にする限り、「絶対的貧困」層以外の部分の生活向上を公的に支援すべきという考え方は、基本、“共産主義”的な思想でしょう。
(もちろん共産主義も、国民に幸福をもたらすのであれば、排除される選択肢ではありません。)
ということは、結局この人の主張は、日本の財政の一部を、「相対的貧困」層にももっと分配すべきだということなのでしょう。ということは、財政全体の収入・支出を議論しなければなりません。この方はそこの所をどうしようとしているのでしょうか?
何処の国も家庭も、財政は基本の思想です。生きる糧をどこから得て、どう使うのか?
財源にゆとりがあれば、何だってできますが、今の財源では中々厳しいのではないでしょうか?
財源を語らずに“福祉”を求めるのは、どこぞの三流政治家でしょうか?
・・・さて、財源をどうしますか?
(つづく)
2016年12月13日火曜日
ブータンは「世界一幸福な国」か~結局は“定義”による
ブータンをユートピアか何かと勘違いしている人がいるのか?
「世界一幸福な国」をめぐる誤解 ブータンで今起きていること
結局、“幸せ”の定義がどうなのかということでしょう。
むかし、「ボロは着ててもこころの錦」という歌が流行りました。人間、どんな境遇でも、“幸せ”を感じることができます。逆に、どんなに恵まれていても、“幸せ”を感じることができない人もいます。
とくに今の日本に住んでいる人の中で、今の生活に“幸せ”が見出せない人は、どこか精神的に病んでいるのかもしれません。また、“不幸”さがしが好きな人かもしれません。
もちろん、どんな世の中でも時代でも、今よりより豊かになりたい、幸せになりたいとがんばることはいいことだと思います。しかしあまりにも手の届かない目標に振り回されているとしたら、それはやはり不幸かもしれません。
で、ブータンと日本と、どっちが「幸福な国か?」と問われると、(ひろし)はためらいなく「日本」と答えます。世界で何番目かと問われると、他の国を知りませんから、評価はできません。ただ、ブータンに関しては、報道されている内容を見る限り、日本より“幸福”だとは思いません。
皆さんは、いかがですか?
「世界一幸福な国」をめぐる誤解 ブータンで今起きていること
結局、“幸せ”の定義がどうなのかということでしょう。
むかし、「ボロは着ててもこころの錦」という歌が流行りました。人間、どんな境遇でも、“幸せ”を感じることができます。逆に、どんなに恵まれていても、“幸せ”を感じることができない人もいます。
とくに今の日本に住んでいる人の中で、今の生活に“幸せ”が見出せない人は、どこか精神的に病んでいるのかもしれません。また、“不幸”さがしが好きな人かもしれません。
もちろん、どんな世の中でも時代でも、今よりより豊かになりたい、幸せになりたいとがんばることはいいことだと思います。しかしあまりにも手の届かない目標に振り回されているとしたら、それはやはり不幸かもしれません。
で、ブータンと日本と、どっちが「幸福な国か?」と問われると、(ひろし)はためらいなく「日本」と答えます。世界で何番目かと問われると、他の国を知りませんから、評価はできません。ただ、ブータンに関しては、報道されている内容を見る限り、日本より“幸福”だとは思いません。
皆さんは、いかがですか?
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